「漂えど沈まず」(滝田誠一郎)。副題は「開高健名言辞典、巨匠が愛した名句・警句・冗句」
「男が人生に熱中できるのはふたつだけ、遊びと危機である」。まさにその言葉通り、サントリーのコピーライター、従軍記者、作家として生き、釣り、グルメ、酒を愛して、58歳の若さで亡くなった開高健。彼の数多い作品の中から著者が印象に残った言葉をピックアップし、開高健像に迫る試みがなされる。
表題の「漂えど沈まず」は、パリ市の紋章に書かれた文言で、開高は次のように評している。「古い、古い時代からのパリのモットーなのだ。言い得て妙だとは思わないか。パリが誕生してから500年か600年、あの街の歴史をみてごらんなさい。風にうたれ波にもまれ、その歴史は『漂えど沈まず』という一言に、見事に要約されているじゃないか。男の本質、旅の本質はまさにこれなのだ」(地球はグラスのふちを回る)
開高健の作品は「珠玉」と「最後の晩餐」を読んだ記憶があるが内容はすっかり忘れた。しかし、いつか、じっくりと読み直したいという印象はあったが、随分と時が流れた。
「朝のようにさわやかに生きる 花のように明るく生きる 水のように清らかに生きる」
「やっぱり旅というのは、若くて貧しくて、心が飢え、感覚がみずみずしいときにすべきなんだ」
「どこか人交わりのできない病巣を持つ人が犬や猫を可愛がるのではないかと思う。犬や猫を通して人は結局のところ自分をいつくしんでいる」
「死と直面したときにのみ生がその全容をあらわす」
「生まれるのは偶然 生きるのは苦痛 死ぬのは厄介」(ベルナール)
「神がサイコロをふることはない(世の中すべては必然の結果であり、偶然などというものは存在しない)」(アインシュタイン)
「みんなの死にかた」(青木由美子)
「意に添わないことは一切せず、当たり前の日常にこだわり、それを叶えるために世間とのつきあいを断った。そして、自分から連絡をとらず、大切なのは自分の時間と、特に晩年は誰とも会わないと決めていた」女優・高峰秀子。「孤立無援でも悠然としていた」漢学者・白川静。「長命だけが大事とは言えぬ。それほど長く生きて何を為すか」と考えた作家・野上弥生子…。
本書は俳優、作家、歌手、脚本家ら45人の老いと死について書いている。 有名人であろうとなかろうと、人は遅かれ早かれ、いつか死ぬ。45人の老い方、死に方を読んでいると、自分も残された時間をどう過ごすべきかか考えさせられる。
「非常識と言われようが不人情と言われようが、私は私のやり方を変えようと思わない」(高峰秀子)
人は自分一人で生きているつもりでも、実は数えきれぬほどの他人の世話になり、他人のおかげで生かしてもらっているのは事実だ。しかし経済的、健康的に自立した生活ができさえすれば、禅語でいう「主人公」として、酒井雄哉阿闍梨が説く「一日一生」の思いを抱いてマイペースで生きるべきであろう。
「今より貧しくても、今の生活より不便でも、もっと心穏やかな、静かな暮らしができればよいのではないか」(「老いのさわやかなひとり暮らし」(吉沢久子)
「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」(藤原新也)
男と女の愛と別れ、死のはかない影を語る短編集。このような文章を書いてみたいと思った。 瀬戸内寂聴は本書を「どの作品も、果物の芯のような事実を作者の詩情が芳醇な果実にふくらませたのだろう」と評した。 キューピットの矢は時には外れることもあるだろう。しかし、その外れた矢が別の的に当たり、その的が大当たりの場合もある。それはそれでいいのではないか。その人が幸せになれば…。
「最後の日本人」(斎藤明美)
「こんな人」とは、忍耐、努力、信念、潔さ・・・を持った人、厳しくて穏やかで深くて強い人。それらは日本人の美徳であり、著者はそのことに限りない憧れと敬愛の念を抱く。しかしそのような日本人は「どんどんいなくなり」、浮薄な人間が増えてきた印象はぬぐえない。
本書では、俳優、脚本家、映画監督など25人の「こんな人」が登場する。人物評論は、取材対象の内面により入り込まなければならないだけに難しい。
「自己顕示、虚飾、見栄…。女優が何ぼのもんじゃい」(高峰秀子)
「汗水たらして、身上削って、生き死にがかかってるような仕事をしたい」(緒方拳)
「お金の仕事をしてる人の顔ってなんて品がないんだろう。含羞、あれがね、探してもないんですよ」(永六輔)
「権力を持った人間の居丈高ほど嫌いなものはない」「生活を広げることで苦を背負いたくない」(山田太一)
「幸せなんていうのはその人の主観でなきゃ。人や世間と比べてもしかたない」(戸田奈津子)
「貧しくても面白く生きている人間と金はあるけどつまらない人生を送っている人間と、どちらがいいか」(天野祐吉)
「(テレビ出演者は)バラエティという意味不明な造語の中で、与太話として金をとる」(伊東四朗)
「陽炎の門」(葉室麟)
豊後黒島藩の桐谷主水は37歳という若さで執政となった。10年前、藩内で派閥争いがあり、それに絡んで前藩主を中傷する落書を書いたとして、主水の証言で主水の幼馴染・芳村綱太郎は咎めを受け、切腹した。主水は綱太郎の娘を嫁に取り、息子は父の死を主水による冤罪と考え、江戸へ出て仇討ちを画策する。また主水と綱史郎の二人が若いころ、城下にある二つの道場の門下生が対立し、死人が出る事態になった御世河原騒動が起こった。次期藩主選びに伴う派閥争いと御世河原騒動には現藩主興世が関わっていた。 主水は真相を知るため行動を起こし、重臣らの思惑、権力のもつ冷淡さ、狡猾さ、陰湿さに真っ向から入り込んで過去を暴いていく。そして、興世はある人物によって斬られて死ぬ。
葉室麟の小説は「蜩ノ記」「秋月記」しか読んでいないが、その作風は江戸時代の凛とした武士の生き方を描いており、好感がもてる。
「飼い犬の苦労などはたかが知れているわ。その日の飯にも困り、寝る場所を探して風雨にさらされる世過ぎを味わえば、きれいごとは言っておられぬようになるのだ」
「生きたいと思って生きている者は存外、少ないものだ。皆、死ぬのも嫌だから、しかたなく生きておるだけじゃ」
「正義を振りかざし、悪を糺(ただ)すのも、いわばおのれの立場を守らんがための方便なのでありますまいか」
「恋しぐれ」(葉室麟)
江戸時代の俳人で絵師としても知られる与謝蕪村とその弟子らを題材に、それぞれの男女の機微を描く。 弟子だけでなく、友人である絵師の円山応挙や文人の上田秋成(雨月物語)、そして豪商との交流、祇園の芸妓への老いらくの恋などに、蕪村の穏やかさや優しさ、真実を見極める感性を感じる。 蕪村の辞世の句は「白梅にあくる夜ばかりとなりにけり」。初春の夜明け、白梅が白々と花開き、あたりが次第に明るくなっていく。長い冬が終わり、明るい春が早く訪れて欲しいという蕪村の願いが込められている。享年51歳。
本のカバー絵として使われた蕪村の弟子、月渓(後の松村呉春)の「白梅図屏風」が美しい。
「実朝の首」(葉室麟)。「吾妻鏡」や慈円の「愚管抄」などに記された史実をもとに小説としての創作も加え、鎌倉幕府三代将軍実朝の暗殺から承久の乱で後鳥羽上皇が隠岐に流されるまでを描く。
この小説は源頼朝亡き後の鎌倉時代の動向を知るには参考になるが、若き日に読んだロシア文学のように登場人物が多く、それぞれの思惑や利害関係が錯綜して相関図を整理しながら読まないと混乱する。
本書の中で印象的な人物は、頼朝の妻・北条政子(後の尼御台)と院制に君臨する文武両道の後鳥羽上皇、そして二代将軍頼家の娘・鞠子。特に政子の智謀と毅然たる態度は、実質的な征夷大将軍として存在感が大きい。 見出しの句は、金槐和歌集を編んだ実朝の最後の句と言われる。
「光圀伝」(沖方丁)は、徳川御三家のひとつ、水戸藩第二代藩主徳川光圀の幼少時から73歳で没するまでを描く。
光圀が一生胸中に秘めたテーマは「義の心」。水戸徳川家の三男として生まれ世継ぎに選ばれたことに「なぜ兄ではないのか」と考え、「義」を果たすために兄の実子を世子に迎える。
光圀は文武に秀で聡明で断行力に優れ和歌も詠み、晩年「命に限りはあれど、生きたという事実だけは永劫不滅だ」として「大日本史」を編纂する。 「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵同様、若き日の市井での放蕩も人々の機微の理解に通じ、家臣や庶民を思う名君としての素養の一部を形作る。そして宮本武蔵、沢庵和尚、父、兄、叔父らの親族、朱舜水、山鹿素行、林羅山とその子息、京の歌人、正室、小姓など多くの人物と交流していく過程で、優れたリーダーとしての地位を確固としたものにしていく。
「東京千夜」(石井光太)。昨夜、東京で女優をめざす女子高校生が、ストーカーに刺殺された。自ら死を選んだわけではない。人は必ず死ぬとはいっても、人を殺すことは許されるべきことではない。 筆者はフリーライターとして、リストカット、自殺、ハンセン氏病、東日本大震災などについて多くの人を取材する。共通しているのは人の死である。
沢木耕太郎の「路上の視野」も一般人を扱っているが、この本はテーマが暗く、気がめいる。しかし、ここで描かれた内容は、我々の日常どこにでもある場面である。そのほとんどが表面化していないだけで、陰惨、孤独、無念などのなかで人が死んでいく。
「葉隠物語」(安倍龍太郎)。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で知られる「葉隠」は「家臣は主君の沙汰が理不尽であっても、主君のために切腹することが義」と考えた佐賀藩鍋島家の家臣、山本常道が口述筆記した。しかし江戸時代の侍が殿のために腹を切るという発想は現代のサラリーマンにはない。要は死に身になって生きよということだろう。
本書は佐賀藩藩主とその家臣の言動を24話に分けて書いている。中でも印象的だったのは第19話の「一夜の蚊帳」。藩の財政状況は数年の干ばつや飢饉で悪化し、城下の侍も塗炭の苦しみに瀕していた。黒川小右衛門もまた借金に借金を重ねる生活を強いられていた。小右衛門は里帰りにせめて蚊帳でも持って行きたいと、すでに借金の形に入れている蚊帳を一日だけでも借りるべく、困窮した家臣や領民に銭を貸し付けている三佐衛門に恥を忍んで土下座までして頼んだが、罵詈雑言で侮辱される。小右衛門はその屈辱に耐えきれず、三佐衛門を討ち果たした後切腹覚悟で切り合ったが逆に横腹を深々とえぐられて死ぬ。そして夫の仇と妻の千代は鎌を手に三佐衛門の屋敷に駆けつけるが千代もまた首を打ち落とされる。
「近頃の侍は体面を保つことばかりにとらわれ、大義を見失っておる。それゆえ大事の思案ができぬのだ」
「常に命を投げ出す覚悟があれば、小さなことに迷わぬものだ」
「恥という字は耳に心と書き申す。耳とは柔らかいという意でござる。心が柔らかい、つまり練りあがらずにぐらついている心こそが恥なのでござる」