「料理の鉄人」の一人、陳建一の父・陳建民の自伝「さすらいの麻婆豆腐」。中国四川省に10人兄弟の末子として生まれ、ソバ屋の手伝いを起点にコックの修行を重ねる。重慶、武漢、南京、台湾、香港、日本と移住しながら、四川料理を普及させていく。
「赤坂四川飯店」は、息子が継いで各地に店舗展開、「少し嘘もあります」とは、本場・四川の味を日本人向けに変えたという意味だろう。
「自分のこころが気持ちいいこと大事ですからね。こころも、それから体も元気で気持ちいい。特にこころが気持ちいいことしていれば、神様が助けてくれるとおもいます」
料理の才能だけでなく、人脈、行動力を駆使して生き抜いた陳建民の波乱万丈の人生は、その家族愛も合わせて魅力的だ。1990年(平成2年)死去、享年70歳。
「キャパの十字架」(沢木耕太郎)。スペイン内戦中、銃弾を受けた兵士が倒れる瞬間をとらえた一枚の写真、「崩れ落ちる兵士」。インドシナ戦争報道中の1954年に死亡するまで(享年41歳)、戦場を撮り続けたロバート・キャパの作品の中で最高傑作として知られている。
しかし、著者はこの兵士は本当は撃たれていなかったのではないか、写真を撮ったのは同行した恋人・ゲルダ・タローではなかったのか、という疑念を持つ。 そこで、その真贋を見極め、本当のことを知るために、撮影ポイントの探索、キャパが残した写真の解析、カメラの比較、関係者の取材などを丹念に行う。
しかし、限りなくクロに近いものの結論は出なかった。 戦場カメラマンには、勇気、情熱、経験という職業的条件が求められる。写真の真相がどうであれ、その職業的条件のもとに、「平和を願いながら」命を懸けて戦場を駆け巡ったキャパの人生は中身の濃いものだった。
「ののしる相手には、精一杯やらせておけばいい。人には勝手に言わせておけばいい。その挙句に、もしその人が喉が渇いたというのなら、水を差しだしてあげなさい。自分は、抵抗するのではなく、毅然とした態度で相手の言葉と対峙すればいい。自分の精神は何者にも侵されることはない。言葉で相手を評価する時は、いい加減な気持ちであってはならない。象や獅子が吠えるくらいの覚悟が必要だ」
人は何かと固定観念にとらわれる。自分の考えが正しく相手が間違っている、自分の頭は柔らかく相手の頭は偏見や独断で固いと言い張る。そして自分の考えに相手を従わせようとこだわる。しかし、逆に自分の意見を批判されたり、否定されたりすると一層むきになる。限られた人間関係の中で、判断材料は偏ったネット情報とテレビ番組と思い込みだけ。世間が狭い。そんな人もいる。
「あなたがあることを絶対的に正しいと思っていたとしよう。しかし、そう思っているのはあなた1人で、他の人は皆あなたが正しいと思っていることを正しくないと思っている可能性だってあるのだ」(池田清彦)
禅語に「我見、離るべし」という言葉がある。自分の立場を捨てて、相手の立場に立ってみる。相手の声を聴く耳を持つ。自分がすべて正しいと思わないという意味だ。
「否定的(ネガティブ)なものは何者でもない。悪いものを悪いと言ったところで、それがいったい何の役に立つか?」(エッカーマン「ゲーテとの対話」)
「どんなバカな話をしても、咎めたりしないで『「それは面白いね』」と笑い合える、そういう仲間がいれば、日常生活がどんなに豊かになるでしょう」
「確かに、世の中には不平家、不満家といった人種がいて、絶えず他者を罵ったり、攻撃したり、悪口を言ったりしている。どこにも、そういう人はいるものだ。だが、そういう人たちの言葉は決して人を愉快にしたり、元気づけたり、幸福にしたりはしない。実際、悪いものを悪いと言っても、なんにもならないのである。悪いものは悪いという行為の虚しさ、対立して勝とうとすることの無意味さに気づくべきだ」
「相手をだしにして優越感を感じることで自分の自尊心の不足を補う。こういう人はできるだけ限り避けるのが正解だ」(「うまくいっている人の考え方」)
「僕らは時折思い上がり、身勝手な価値観だけで人を傷つけることがあります」(さだまさし、「ラストレター」)
さだまさしが、石巻での東日本大震災復興コンサートで、自分の曲「Birthday」を歌う前に、故淀川長治さんの次の言葉を紹介した。
「僕は生まれてきて、辛いこともいっぱいあって、悲しいこともいっぱいあって、悔しいこともいっぱいあって、本当に順風満帆で生きてきたわけじゃないけど、生きてきたということをとても幸せだと、今思っている。だから、自分の生まれた日を自分でお祝いする日ではなくて、命がけで自分を生んでくれたお母さんを一日思って過ごす日と決めています」
まもなく「母の日」がくる。この言葉を聞いて、淀川さんの母親に対する思いに胸が詰まった。
「覇権通貨」は、中国ビジネスを題材にした深井律夫の「連戦連敗」、「黄土の疾風」に続くシリーズ3作目。
上海駐在経験のある銀行マンとその仲間が、人民元操作で私腹を肥やそうとする中国人民銀行副総裁、彼に組する日本のコンツェルン社長、ファンドマネジャーらと立ち向かう。金融用語を駆使し、凋落する中国経済や反日暴動に秘められた中国人の心情、それぞれの登場人物の心理的駆け引きなどを描く。
「うちは死んだように生きるのだけは我慢ならんのです」は、表面はコンツェルン社長令嬢で主人公のプロジェクトの一員だが、実質は敵方のスパイで自己の利欲のためだけに動く女の科白。「死んだように生きる」とは、金儲けに人生の意義を置かないという意味か。勧善懲悪の4作目が待たれる。
世阿弥「風姿花伝」。仮出所したホリエモン(堀江貴文氏)が「朝まで生テレビ」に出演するということで興味本位で見たが、彼の入獄生活は何だったのかと思うくらい、自己中心のコメントが続いた。
日本人は昔からおしゃべりを軽蔑してきた。男は口数少なく、話す時はわずかの言葉で決定的なことだけを言うのをよしとしてきた。が、それも変わった。
このようなテレビの討論会をたまに見ると、大の大人が言葉の奪い合いで、恐ろしい早口でまくしたてる。大声で、口数の多い方が勝ちなのである。 討論会だから自分の意見を主張するのは当然だが、一方で「秘すれば花」の美意識の奥ゆかしさ、上品さを思う。
真山仁の「黙示」を読んでいる時、「EU、ミツバチ減少で殺虫剤禁止 保護強化に乗り出す」のニュース。
この小説は、農水省官僚、国会議員、農薬メーカー開発者、養蜂家、植物工場経営者、米国遺伝子組み換えメーカー幹部らを登場させ、減反政策やTPP対応も含めた将来の日本の食糧危機に警鐘をならす。 時代のグローバル化とともに、各国の力関係も世界の食糧事情も変化する。
食糧危機の主な原因は、新興国の人口爆発、異常気象により世界中の穀倉地帯を頻繁に襲う干ばつ被害、土地開発など人為的なものによる生態系の変化など。その結果、農産物価格が高騰、自国の食糧を確保するために日本への食糧輸出が停まる可能性があり、一方で国内の農産物が中国などに買い漁られるリスクもある。
「春風伝」(葉室麟)。波乱の幕末、27歳の若さで労咳に没した長州藩士・高杉晋作(諱は春風)を描く。
黒船来航により、江戸幕府は混乱に陥り、長州、薩摩、会津などの若い志士らに尊皇攘夷の機運が高まる。 晋作は、吉田松陰、佐久間象山、横井小南、さらに西郷隆盛、坂本龍馬、久坂玄瑞、伊藤俊介(博文)、桂小五郎(木戸孝允)、山形狂介(有朋)、村田蔵六(大村益次郎)、中岡慎太郎、グラバーら錚々たる人物と会し、24歳で四か国連合艦隊との和睦交渉も託された。そして彼が結成した奇兵隊は長州征伐軍に対抗、薩長同盟も結ぶ。 また五代才助(友厚)らと幕府使節随行員として上海へ渡航。太平天国の乱で揺れ、外国に翻弄される清の状況を日本の将来に重ね合わせ、天下を駆ける奔馬の如く、活躍する姿も面白い。ちなみに坂本龍馬のリボルバーは、晋作が上海で購入し、龍馬に贈ったもの。
「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」
「名望によって事を為そうとする者は、名望を失うことを恐れ、いつか人にひきずられて身を誤るだろう」
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」(伊藤博文)
「胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以って人に打ち勝つものは高杉東行(晋作)、是れ亦洛西の一奇才」(中岡慎太郎)
「宮脇昭、果てなき闘い」(一志治夫)。「魂の森を行け 3000万本の木を植えた男の物語」を増補加筆。
宮脇昭(1928年生まれ)は日本だけでなく、ボルネオ、タイ、中国、ブラジル、モンゴル、ケニアなど世界中に木を植え、土地本来の森を作り続ける。近年では、東日本大震災で出た膨大な量の瓦礫を土中に埋め、その上に森を作る「いのちを守る森の防潮堤」の実現を目指している。 学生時代から大学教授時代、そして80歳代の現在まで、彼は本物の森作りを目指して、脇目もふらず、集中力と執念でひたすら対象に向かっていく。相手が学者であろうと、企業トップであろうと、環境庁の幹部であろうと、自己の信念を曲げない。そして、日本だけでなく世界に実績を残してきた。
「健全な社会というのは、好きなやつだけ集めない。人間も同じであります。とにかく、(高木、亜高木、低木、雑草を)混ぜる、混ぜる、混ぜる」
「都市も周りの森林を破壊した時、その文明は破滅させられ、その周りは砂漠化していく」
「過去も未来も結局夢であって、いま、この瞬間にだけ自分は存在している。瞬間、瞬間、自分はベストに生きたい。自分に忠実に生きていきたい」
「かすかな兆候から、見えない全体をどう読み取って、問題が起きる前にどう対応するか」
「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹)。戦前から戦後にかけて、石油ビジネスに命を懸けた出光興産の創業者、出光佐三のドキュメント小説。120万部を越えるベストセラーである。
「一生懸命働くこと、質素であること、人のために尽くすこと」という父の教えを胸に、佐三は、下関海上での軽油や満鉄での機械油の販売、戦後のタンク底にわずかに残った石油さらいなど、骨身を惜しまず働いた。そして、多くの人の支援を得ながら、石油統制をもくろむ国やGHQ、財閥系石油会社、国際石油メジャーに果敢に挑む。中でも「日章丸事件」と呼ばれた、イラン国営会社からの石油買い付けの英断は世界をあっと言わせた。
佐三は福岡県宗像に生まれ、同郷の禅僧・仙厓をこよなく愛した。95歳で大往生した彼の人生は、多くの苦難を乗り越え、権威をものともせず、私心もなく、ただ「国の為、人々の為」という自己の信念に誠実に生きた、カッコ良すぎる人生だった。
「夫の苦労を一緒に背負える嫁をもらえたら本当の果報者や。夫もまた、妻の苦労を背負ってやる覚悟がないとあかん」
「人間というものは、有利な立場に立てば、それを利用しようとする。力を持てば、それを行使したくなる」
「黄金の奴隷たるなかれ。仕事は金で選ぶものではない」