「へたな人生論より『寅さん』のひと言」(吉村英夫)。映画「男はつらいよ」全48作の膨大なせりふの中から、映画評論家の著者が印象に残ったものをピックアップした。「男はつらいよ」は名言の宝庫である。
甥の満男に「人間は何のために生きてんのかな」と聞かれた時の寅さんの言葉。「難しいこと聞くな、お前は。・・・なんというかな、あー生まれてきてよかった。そう思うことが何べんかあるだろう。そのために生きてんじゃねえか」
「くだらないことをしている間に、あっという間に骸骨になってしまうんだぞ、人間は」
「おじさん、世の中で一番美しいものは恋なのに、どうして恋をする人間はこんなにぶざまなんだろう」
「思っているだけで何もしないんじゃ、愛してることにはならないんだぞ」
「心や気持ちで女が動きゃ苦労しねえよ」
「ほら寒い日、かじかんだ手をお母さんがじっと握ってくれた時のような、体の芯から温まるような暖かさ…」
「貧乏人ってものはな、一番つらくてさみしい時はよ、金持ちに札っ束で頬ッペタ叩かれる時だぞ」
「何だ、リラックスって」「ちぢこまって固くなった心が柔らかく溶けていくとでもいうか…」
「仕事ってのはね、何しても楽なものってのはないんだよ」
「百年法」(山田宗樹)は、死をテーマにしたSF小説。
アメリカで始まったHAVI(ヒト不老化ウィルス接種処置)は、老化をほぼ完全に防ぐことができ、病気や事故でなければ、生物学上は永遠に生きることが可能になる。そのため、ほとんどの人間がHAVIによって永遠の若さが得られると知り、深く考えることもなく、飛びついた。 しかし一方で、「不老化処置を受けた国民は処置後百年を以って、生存権をはじめとする基本的人権はこれをすべて放棄しなければならない」という「生存制限法(通称:百年法)」があり、自分の死ぬべき時期が法律で決められてしまう。
人間には、いつまでも若い肉体や容貌を維持したいという欲望がある。それを、HAVIが可能にしたかに見えた。科学の進歩が自然の摂理を超えようとしたが、現実に起こったことは…。
「一年一年老いていけば、否が応でも、その先にある死を意識させられる。自然に生きて、自然に死ぬ。それが、人間のほんとうの姿だ」
「人が危機に備えることの必要性を納得するのは、たいてい、危機に飲み込まれてしまった後なのです」
沢木耕太郎は、好きな作家の一人である。「旅の窓」は、彼が旅先で撮った一枚の写真に500字程度の文章を添えたエッセイ集で、自然体で自由に生きているかに見える彼の感性が表現されている。
中国、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランスなどを旅する中で撮ったスナップショットはどれもいい。写真に文章が加わり、その場面に溶け込んでいける。 「宝石のような空間」に遭遇することはなかなかできないだろうが、それだけに、千載一遇とも言える出会いはきらきらと輝き、旅の楽しさを増幅してくれる。
「たぶん、記念写真を撮りたがるのは、残り少ない『いま』をいとおしいと思う大人の習性であるだろう」
釣りとは、長い長い『釣れない時間』」に耐えることだろうから」
「心は行動となり 行動は習癖を生む 習癖は品性を作り 品性は運命を決する」
京都大仙院において千利休と豊臣秀吉が茶会をしたという部屋の掛け軸に書かれている言葉。 心の持ち方が、その人の行動を左右し、ひいてはそれが習慣となり、そしてそれを体現することになる、ということを表しており、人の人生のありようの根元は、元をただすと”心”であると伝えている。
「夢を売る男」(百田尚樹)。小説や自分史など自分の著作を出版したいという多くの人間をカモに、出版社編集部長の主人公はジョイントプレスという方法で言葉巧みに金を巻き上げていく。主人公は、彼らの本が売れるなんて全く思っていない。自費出版なら数十万でできる本も、出版業界の制作事情に疎いが自己顕示欲の強い者に出版費用として何百万もの金を出させるため、赤字にはならない。
出版業界の現状を紹介しているという点では本書は興味は持てるが、このような詐欺師的主人公は、いまひとつ好きになれない。
「原稿は読んでいないが、団塊世代の自分史らしいじゃないか。あの世代でそういうのを書く男というのは、自意識過剰で自己顕示欲が非常に強いんだ」
「ある種のタイプの人間にとって、本を出すということは、とてつもなく魅力的なことなんだよ。自尊心と優越感を満たすのに、これほどのものはない」
「あなたは安藤美姫選手の出産を支持しますか?」「子育てをしながら五輪を目指すことに賛成ですか?」― 週刊文春の公式サイトが、こんなアンケートを掲載した。これが、安藤選手の生き方や出産そのものを批判しているようにしか見えないとネットで「大炎上」し、アンケートは削除されるとともに、編集長が謝罪に追い込まれる事態になった。
「あなたは安藤美姫選手の出産を支持しますか?」という問いは、安藤選手が生んだ子供の存在を認めますか、という意味にも解釈できる。そうであれば、「出産を支持しない」というのは、どういうことなのか。 最近の週刊誌は、売らんがためのスキャンダラスな記事が多い。週刊朝日の橋本大阪市長出自問題をはじめ、人間性否定の内容が多すぎる。週刊新潮もそうだが、皇室雅子妃関連の記事も悪意に満ちている。
週刊誌の売り上げが減少しているのは、単にネットなどの影響だけでなく、良心的な読者に不快感を与える記事を平気で掲載する雑誌社の体質にある。出版不況とはいえ、「なんでもあり」の編集であってはならない。雑誌編集者のプライドは、すでに地に落ちている。
「永遠の0(ゼロ)」(百田尚樹)。操縦技量の卓越した、その零戦パイロットは、たとえ臆病者と蔑まれようと、「生きて帰国し、妻子と再会する」という確固とした信念を持っていた。しかし終戦の数日前、必ず死ぬという「十死零生」の作戦の中、神風特攻隊員として、ついに南西沖で命を落とす。 フリーライターの姉とニートの弟は、その祖父の戦時中の姿を知ろうと、生き残った戦友たちを訪ね歩く。戦闘機乗りとして凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生きることのみに執着する零戦パイロット、それが祖父だった。
10年ほど前、鹿児島県の知覧特攻平和会館に行ったことがある。そこには、沖縄戦で散華した多くの若き特攻隊員の写真と、行間に言うに言われぬ思いを込めた遺書が展示してあった。 家族への思いと生の尊厳をテーマにした主人公の生き方が、平和ボケした日本人の胸に強く響く。
「男にとって『家族』とは、全身で背負うもの」
「逃れることのできない死をいかに受け入れ、その短い生を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間」
「死ぬのはいつでもできる。生きるために努力をすべきだ」
「一瞬の判断ミスが、一瞬の心の迷いが、一瞬の心の隙が、そして日頃の訓練と技量の差が天国と地獄を分ける」
「流転の魔女」(楊逸)。汚職、愛人、臓器売買、偽札、コピー商品、スキミング犯罪…。
「何でもアリ」の現代中国は「カネを持ったものが幸福」という拝金主義が横行する。迷惑、誠実、清貧などの言葉は死語である。 「流転の魔女」とは、人の手から人の手へと渡っていく、明治時代の作家・樋口一葉が描かれた五千円札のこと。 中国人に限らず、人は相手が理不尽と思う言動をしても、カネの前では沈黙したり、態度を変えることがある。カネに振り回されながら生きている。古今東西の真実である。
「お金で狂った世に生きている限り、お金に狂わせられない生き方をする方が、むしろ難しいかも知れない」
「人は生まれながらにして貴賤上下の別はないけど、ただ学問に勤めて、物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なるものは貧乏人となり下人となるのだ」
「金のない乞食が、金持ちが行き来する繁華街で、真心を持って奉仕の精神でモチベーションを高く上げ、倹約は美徳だ叫んだって、どうなるものでもない」
「望郷の道」(北方謙三)。主人公・小添正太は、石炭を積んだ船を若松まで運ぶ生真面目で義侠心あふれる川筋の船頭。瑠偉は賭場を営む藤家の一人娘。その二人が結婚し、台湾で菓子事業を拡大していく。
ハードボイルド作家であり、近年は「三国志」や「水滸伝」など中国物が多い北方謙三の本を初めて読んだ。こんな生一本の男がいたのか。こんな度胸の据わった女がいたのか。面白い。文庫本の上・下巻を一気に読んだ。
肉食系とか草食系とか浮ついたネーミングで男を形容する時代を笑うかのように、若き日の高倉健に主演させればと思うほど(瑠偉は藤純子?)、正太の生き方はカッコいい。
人間は社会性のある生き物。仕事や家族など、社会との触れ合いを通して、それぞれの喜怒哀楽が生まれる。社会性を断てば心に波風もたたないだろうが、人との交わりを通してこそ、生きているという実感を感じる。
「人というのは、恐ろしかな。甘かと、すぐにそこにつけこんできよる」
「正太は、群れの外で生きとる男やな」 「時というのは残酷なほど、人の心情を色褪せさせる」
「若き日に薔薇を摘め」(瀬戸内寂聴と藤原新也の往復書簡集)。この書名は「薔薇の蕾の微笑んでいる時間は短い。時を逃がさず、若き日にそれを摘め。傷を恐れず若者よ、さあ薔薇を摘みなさい」というイギリスの詩人の言葉からとっている。
動作が物静かで上品、そして慎み深い。そのような「しとやかな」女性には、正直あまり遭ったことはない。彼女は、さりげない言葉のなかにその事象の本質を突く。相手のことに気遣いながらも、自分の考えはきちんと主張する。それだけに、そのような女性に現実社会で出会えることは、男にとってはラッキーである。 しかし、そのしとやかな女性が般若のように豹変するとはどういうことなのか。どういう状況で豹変するのか。所詮、いい女を演じていただけなのか。
「思想は行から生まれるということです。頭でいくら崇高な思想を考え付いても、それを体で体現できなければ、人に感動を与えないと思っています」
「我に執着する。己の事ばかり考える。それはありていにいえば自分を幸福にしたいゆえの行いですが、僕は常々逆に我執の強い人間ほど幸福の分母が大きいわけですから、それを埋めるための多くの苦しみを抱えこみ、結果的に幸福から遠のくのではないかと思っています」
「これからは自分の目で見つめ、自分の手で触って確かめた感触しか信じてやるものか」
「世の中が都市化し、自然が後退していくと同じように、人間の記憶や言葉の中から植物や花々に関する語彙も消えていくように思います」
「長く生きていることが、必ずしも当人の幸せとはいえない病苦を背負った老醜の老人も多くなってきた」
「虫待ち続ける花々の厚化粧」
「人との関係がなくなったということは、自分の存在がないこととと同じなんですね」