「きみはいい子」(中脇初枝)。学級崩壊の小学校教師、幼児虐待の母親、障害児をもつ母親、認知症の母親を世話する娘などをテーマにした短編集。
最近、学校などでの体罰問題が表面化し話題となったが、いじめや親子の問題は社会現象化してきて久しい。 特に少子化時代における家庭での親子の問題は、個々の事情によるとは言うものの、幼気(いたいけ)な子供が犠牲になることもあり、胸が痛む。
このような現象は時代や社会の要因もあるのだろうが、結局は、親としての愛情、大人の人間としての生き方という根本が一番に問われるべきである。
がん告白の樹木希林の言葉。
「樹木さんは死ぬときに“納得がいかない”と思いたくないから、今を大事に生きるようにもなったし、周囲も自分と真剣に向き合ってくれるようになったと嬉しそうに話していたことがありました。樹木さんに言わせると、がんはありがたい病気で面白いんだそうです。いろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。そういった意味で“賜りもの”なんだって」(映画関係者)
人はいつか必ず死ぬ。死を意識すると人生が変わる。残された時間の中で何が大切かを考える。
「七つの会議」(池井戸潤)。「下町ロケット」、「空飛ぶタイヤ」、「ルーズベルトゲーム」など、池井戸潤の小説はどれも面白い。勧善懲悪のストーリーのなか、正義感あふれる中小零細企業経営者の姿勢も心地よい。
年商約一千億の電材メーカーで、内部告発による品質ねつ造の事件が発覚する。それは、親会社の株価にも大きな影響をもたらす大事件だった。 この小説では、企業利益を上げるために、そして組織内での自己保身と出世のために、陰謀と虚偽が必然のように繰り広げられる。窮地に追い詰められたすべてのサラ―リーマンがそうではないだろうが、「自分を守るために嘘もつく」こともある。しかし、やはりそれは、あってはならないことだ。
「仕事っちゅうものは、金儲けではない。人の助けになることじゃ。人が喜ぶ顔をみることじゃけ。」(同)
「一路」(浅田次郎)。美濃から江戸へ向かう12日間の参勤交代。その御伴頭(おともがしら)を主人公に、世襲制の武士が主君のために命を懸ける物語が描かれる。
「人はみな、貧富貴賤にかかわらず、つらい道中を行く旅人にござりますれば、さだめという重き荷を負うた、おのおのが等しき旅人にござりますれば、どうかあなたも、おのがさだめを正義と信じて、この先の道中をお歩きなさいませ」(同)
「武士の面目は他聞他目にあらず、常に自聞自目に恥ずることなきよう生きよ」(同)
「おのが生計(たっき)のために頭を下げるつもりはございませぬ」(同)
「知った人がみな背を向けるのが孤独というものであった」(同)
「神仏を恃む暇があるのなら、面倒をかけた人々に頭を下げよ」(同)
夜中に目が覚めた。時計を見ると午前4時前。4時からはNHK「ラジオ深夜便」で「明日への言葉」のコーナーがあり、そう眠くもなかったので「今日は誰の話だろう」とラジオのスイッチを入れた。
すると、この日は毎月一回放送される「天野祐吉の隠居大学」、ゲストは女優の樹木希林だった。 写真フィルムや結婚情報誌のCMの話、森繁久彌と共演した時のギャラの話、物を捨てる話などの中に、「人生、出たとこ勝負」、「他人と比べているとキリがない」、「人に迷惑をかけることは嫌だ」、「目の前のことを楽しむ」などの言葉があり、時間があっという間に過ぎた。
特に印象に残ったのは、結婚について語った時に引用した歌人・種田山頭火の「やつぱり一人がよろしい雑草」「やつぱり一人はさみしい枯草」という言葉。結婚情報誌のCMで共演した元夫・内田裕也との会話も興味深い。「結婚って何ですか」「うーん、ノーコメント、いや、ロックンロール」。
「幸せって、人によって全然性質が違いますからねえ。一緒になれただけで幸せ、一緒になった不幸せ、一人でも幸せ、たくさんいても不幸せ」(さだまさし、「ラストレター」)
「ぼんやりの時間」(辰濃和男)。人は、仕事、家庭、人間関係、金などのためにあくせくと生きる。過去や未来を思いわずらい、今に集中できない。そして、時間に追われ、効率を追い求める生き方が心を少しずつゆがめていく。 著者は、元新聞記者。湖面に石を投げると波紋が起こる、だから、時には石を投げることを止めよ、ぼんやりとする時間の価値、ゆったりとした時を過ごすことの心地よさを見直すべきではないかと説く。
「焦ってはいけない。いらだってはいけない。くさってはいけない。妄想とか執着とか疎外感とか、そういったものをひとまずどこかに置き去りにして、あるがままの自然の姿を、ぼんやりとした状態で受け止める」(同)
「たくさんの無駄な時間の集積こそが、実は、暮らしを豊かにする潜在的な力を持っている」(同)
「独りでいることで、心安らかにぼんやりすることができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。謙虚な気持ちで、内面と向き合っている」(同)
「心みちたる、すなわち富めるなり。体閑(からだひま)なり、すなわち貴きなり(どんなに貧しい暮らしをしていても、心がたくさんの喜び、たくさんの満足、たくさんの感謝、たくさんの情け心に満ちていれば、その人は心の豊かな人、心の富める人と言えるだろう。立居振る舞いがいかにも閑雅で、ゆったりしていて、落ち着いていて、急がず、いらだたず、こせこせせず、その一瞬を大切にする余裕のある人は貴い人といっていい。生を大事にする要諦は、今日という日の、今という時間を、ゆったりと、のどやかに過ごし、ぼんやりを楽しみながら生きることだろう」(白居易)
西村健著「地の底のヤマ」は二段組み、全863ページの大作。最初はそのボリュームの多さに圧倒されたが、読み進むにつれ引き込まれ、とても読み応えがあった。
「炭坑節」で知られた福岡県大牟田市は、戦前から日本を代表する石炭(ヤマ)の街で、最盛期は20万人の人口を抱えていたという。しかし石炭産業の衰退とともに、人々は街を離れ過疎化が進んだ。
この本は、著者が少年時代を過ごした、その大牟田を舞台にした4部作の警察小説である。 幼馴染み、三池闘争、警察組織、やくざ、家族・・・。それぞれの人間関係が錯綜する事件(ヤマ)の展開が面白く、一気に読んだ。
「生かされているのだ、俺は」という最終行は、その運命に翻弄された主人公がやっとたどり着いた安らぎの一言だった。
「64(ロクヨン)」(横山秀夫)。この小説も警察が舞台。64とは、昭和天皇ご崩御の1989年に発生した身代金目的の誘拐殺人事件の意味。最後の部分のスピード感と緊迫感のある展開が特に面白い。
犯人を取り逃がし、若い鑑識課の職員は自責の念で退職し、引きこもる。主人公は彼の心を開くために手紙を書こうとするが、なかなか心が届く確かな言葉が浮かばず、「君のせいじゃない」それだけ書いた。
相手の心に届く確かな言葉とは、いったい何なのか。誠心誠意、タイミング、相手の心理的状況、自他の環境…。さまざまな要因が輻輳する中で、相手の心を開く言葉を発することは難しい。
「言葉というものはその単語の持つ本来の意味よりも、誰が、どんな時に、どのように発するかということによって、本来の『言霊(ことだま)』は動くのだ」(さだまさし、「ラストレター」)
「禅が教える人生の答え」(枡野俊明)。「仏教には『定命』という考え方がある。自分に定められた命の火。それは自然に消えていくのがいい。消えそうになったロウソクに無理やり火を足そうとしたり、溶け落ちた蝋を再びかき集めたりせず、消えゆく火を自然に見守るのがいい」
「諦めきれない命もある。認められない運命もある。しかし残されたものとしては、それを『定命』として受け入れることでしか生きるすべはない」
「人間は必ず衰えていく。その衰えた身体であと五十年も生きるとすれば、それが幸せなことでしょうか」
「少しでもロウソクの明かりで周りを照らす。その使命を果たすことが、生きるということなのです」
わずか262の文字数だが、600巻にも及ぶ「大般若経」の神髄を表すといわれる「般若心経」。法句教とともに最も多く唱えられるお経だそうだ。
その初心者向け解説本を手にした。 ?礙(けいげ)とは「さまたげ」の意味。心をさまたげるものがなくなれば、自由自在になる。心が自由になれば、もう恐れるものはない。
「菩提行を実践している求道者、彼岸に渡る真実の智慧を得ようとしている者は、心にわだかまりがありません。したがって、心におびえや怖れも抱きません。心に何のさまたげもなくなれば、心に真の自由が得られます。そこに真実の智慧が生まれます」(瀬戸内寂聴訳)
般若心経は、この世のあらゆる現象(色)は、すべて人の心が描き出す幻(空)と説くが、「色即是空」の「色」は顕在化された現象、「空」は一瞬一瞬が滞らず変わっていくものという理解でいいのか。本当に「色即是空」なのか。その意味を理解するのは難しい。
「幼な子の次第次第に知恵づきて仏に遠くなるぞ悲しき」という言葉がある。確かに、人が社会との関わりを深めていくにつれ、わだかまわりや煩悩も増えていく。心に煩悩を持ち、そのためにいつも悩み事を抱え、心配が絶えない。また、常に現象に振り回される。
「般若心経」には「六波羅(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)は菩提の修行の根本である」と書いてある。しかし、「こだわるな、わだかまりや煩悩をなくせ」、「忘れろ、こだわることそのものが無意味だ」、「考えてもしょうがないことを考えることを無駄という」と言われても、凡夫にはなかなかそうはいかない。過去の嫌なことや心配事、将来の不安がつい思い浮かぶ。
ビジネス社会では、企業目的のひとつは利益の獲得である。労働者の労働価値のひとつも利益(収入)である。このような利益も煩悩なのか。ビジネス社会における「般若心経」を、心の側面(ストレス)では理解できるが、金の面で、どう考えればいいのだろう。 ちなみに、先日亡くなった歌舞伎俳優市川団十郎の辞世の句は、「色は空、空は色との、時なき世へ」だったとか。