「波の音が消えるまで(上・下)」(沢木耕太郎、新潮社)

2015/04/07

読みだしたら止まらず、一気に読んだ。

1997年、バリ島から香港経由で日本へ帰国しようとした主人公は香港返還前日でホテルがとれず、やむなく数日滞在のつもりで香港近くのマカオへ向かう。これが彼にとってバカラ賭博にはまる運命となった。日本、ハワイ、バリとサーファーとして暮らした後、主人公はマカオのホテルで老いたギャンブラーの元在日朝鮮人と彼を支える売春婦ら多くの個性的な人々と出会う。そして元在日朝鮮人が残したノートには「波の音が消えるまで」と1行だけ書いてあった。「波の音が消えるまで」とはバカラ必勝法のヒントなのか。破滅するまでバカラに淫せよという意味なのか。

清涼感、群れない、誠実、周囲からの信頼や親しみ、元プロカメラマンとしての感性などの人間性を持った主人公がバカラにのめりこみ、予期せぬ場面を経て、最後は・・・。著者のこの作品に、今回も裏切られなかった。

「だから荒野」(桐野夏生、毎日新聞社)

2015/04/11

夫はサラリーマンだが、息子二人を含めたこの家族が裕福でなかったら、ストーリーは別の展開になっていたかもしれない。家族4人はみんながバラバラで、自己正当化し自分勝手。互いを思いやったり、家族の気持ちを忖度する余裕を誰も持っていない。文中に「はっと気付いたときはもう遅い。何もかもががらがらと音を立てて壊れた後だ」とあるが、この家族も、危うい均衡の上に成り立つ崩壊寸前の家庭だった。

妻の誕生日祝いにレストランで食事中、夫らの身勝手で自己中心的な言動に蓄積していた我慢が限界を超え、妻は先に店を出る。そして、もう二度と家に戻らないと心に決め、行く当てのないまま、自分が運転してきた車に乗り込む。その夜、新宿のホテルに泊まった後、結婚する前の元カレが長崎にいることを親友から知らされ、高速道路で九州への漠然とした逃避行が始まる。その途中、トラック運転手、若い女性、高齢のボランティア男性らと出会い、それぞれの事件が起きる。(表紙の高速道路の写真はそれを意図しているのか)

妻が長崎で元カレを見かけたのは無理があると思ったが、「逃げ回れば、どこまでも荒野が続く。妻は東京に戻って荒野を沃野に変える」ことは果たしてできるのか。理想的な夫婦、家族とは何か。家族があっても、結局は自分ひとりなのか。この作品は暗くてシリアスな家族の在り方を描いているわけではないが、このような崩壊寸前の家族は特別でないような気もする。

後日。YOUTUBEでNHK-BSプレアミムの同名ドラマを見た。全8回ということもあって、脚色は深められストーリーが広がったが、ドラマは原作の後半部分である主人公の長崎での生活と山岡老人の被爆体験の言動に重きが置かれていた。「人間は皆一人ひとりの荒野に生きている。でも荒野を豊かな大地、沃野にするのも人間だ。ずっと生きてきたこと、これから生きていくこと、だから荒野」。原作を超えた、いいドラマだった。

「東京ブラックアウト」(若杉冽、講談社)

2015/04/15

「低廉で安定した電力供給は、日本経済の生命線であり、責任あるエネルギー政策を進める。原子力規制委員会が新規制基準に適合すると認めた原発は、その科学的・技術的な判断を尊重し、再稼働を進める」。安倍晋三首相は施政方針演説でこう語った。だが、安全審査で先行する九州電力川内原発1・2号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働は規制基準合格から5カ月が経過しても全く見えない。さらに先日、福井地裁は関西電力高浜原発3・4号の運転停止を命じる仮処分を決定した。

この小説は、福島原発事故から3年経ち、各原発の再稼働が進む中、新潟柏崎原発のテロによるメルトダウンで、現地だけでなく東京まで放射能が流され、パニックに陥る状況を描く。経済産業省高級官僚の出世欲や電力業界幹部の利益確保目的による原発再稼働と発送電分離阻止への思惑、今上陛下の民心への思い、自己保身を図る官僚や政治家らの言動などを通して、霞が関省庁に現役で勤務する覆面作家の著者は「原発ゼロ」、「原発再稼働反対」を訴える。

首相の発言、そして国民の安全よりも経産省の利権や電力会社の利益が優先されることは正しいのか。首都圏直下型地震、富士山大爆発、そして原発再稼働による新たな原発事故・・・。国家存亡の危機は目前に迫っている。

「春風は、斬られまい」(菅淳一、幻冬舎)

2015/04/18

鎌倉時代の高僧・雪村友梅の生涯を描く。幼くして鎌倉建長寺の渡来僧・一山一寧の下で待童として働き始め、12歳で得度、修行僧となる。聡明で優しく、生真面目な友梅は17歳で(師の法を継ぐ)印可を受け、さらなる修業のため元へ向かう。そこで多くの導師との新たな邂逅があるが、日本人狩りを図る元によって捉えられ、獄舎へ入れられた後、虜囚としての長くて苦難の放浪の旅が始まる。拷問、幽閉、病いなど八方塞がりの切迫した状態に種々追い込まれるが、それも彼にとっては修業だった。しかし虜囚の身でありながら、行く先々で、不動の信、博識、上品さなどその名声は高まり、ついに37歳の時、特赦を受け自由の身となる。帰国後、朝廷や有力大名などから住持としての多くの誘いがあったが、いくつかの寺を巡った後、入寂。生涯にわたり、孤高に徹し、世の不条理と真剣に向き合った禅僧だった。

「自分の心の在り方だけに気を配ればいいのです。自心を浄めるのです」「ただ一度の人生、ただ一人の生涯、ただ一回の一日!」「吾れ、人の誉れを歓ばず、また、人の毀(そし)りを畏れず、ただ世と疏なるに縁り、方寸淡きこと水のごとし(長安幽閉時の詠句)」

「朱元璋 皇帝の貌(かお)」(小前亮 講談社)

2015/04/25

15世紀半ば、中国・元朝末期。国は疲弊し、各地で白蓮教徒の紅巾賊が台頭、元朝滅亡を図る。中でも朱元璋、陳友諒、張士誠の3人が覇を競ったが、最後は朱元璋が勝って元朝を滅ぼし、中国全土を支配、明の太祖・洪武帝となる。

朱元璋は貧農の子だったが、民が安らげる国を作りたいと紅巾賊に加担し、そのリーダーシップ(高い目標、適格な判断、率先垂範、人材を見極める目、部下からの信頼等)と幼馴染や儒学者らの支援で頭角を現す。そして厳しすぎる軍規による謀叛もあったが、地方政権の主から、江南の覇者へ、そして中国全土を統べる皇帝へと出世していく。

小説の中で、沈万三という江南の豪商の名前が出てくる。朱元璋を経済的に支援したが、最終的には追放の憂き目を見る。上海滞在時に水郷・周荘古鎮を訪れ、彼の旧居を見学したのを思い出した。

歴史を創るリーダーとは、どのような資質を持った人間だろうかと考える。中国古典にもそれを見ることができ、文中にある「世にはばかるのは、もっと図々しく、冷淡で、恩義などにこだわらない人物だ」は、その一つかも知れないが、やはり正当ではない。徳(仁、義、礼、智、信)を有することが絶対必要条件だ。覇権を狙う男たちが歴史を創ってきたが、要は人としての在り方、天命に収束する。自分には道教や禅宗のように、組織のリーダーよりも「天上天下唯我独尊」として、自分一人がどのように生きるかの方が関心がある。