「物語のおわり」(湊かなえ、朝日新聞出版)

2015/02/14

右肩が黑い紐で綴じられている20枚ほどのA4コピー用紙の中央には「空の彼方」という短編小説の題名が印字されている。主人公絵美は山間の小さな町に住んでいる。パン屋を営む両親は一年中休みなく働いているため、絵美は町から出たことがなく、日々、山の向うの世界に想像を膨らませていた。ハムさんとの遠距離恋愛、そして婚約。しかし空の彼方の世界を見てみたい、小説家になるために東京へ行きたいという思いが溢れだした絵美は、誰にも内緒で駅へ向かうが、そこにハムさんの姿があった・・・。

 

この短編小説「空の彼方」は、その後の「物語のおわり」がないまま、祖母の手記を下に登校拒否の女子中学生が書いた。その小説は北海道を舞台に、女子中学生→癌が発覚した妊婦→プロカメラマンを諦め、実家のかまぼこ工場を継ごうとする男性→最後の夏休みを自転車で旅する女子大生→バイクでツーリングする中年男性→大手証券会社の独身エリート女性→女子中学生の祖父へと手渡されていく。

人は特に若い時「空の彼方」という夢があり、それぞれの人生や思いを秘めて生きている。しかし多くの場合、必ずしもその夢を叶えることはできない。その人の「物語のおわり」は、死ぬまで続く。

「我が心の底の光」(貫井徳郎、双葉社)

2015/02/17

主人公は5歳の時、父親が母親を殺し囚役したため、叔父夫婦に引き取られる。その後、万引き、クレジットカード詐欺、不動産詐欺、スパイウエアによるデータ流出などの犯罪を重ねていく。不快な内容が続くので、各段落の1行目だけとか会話部分だけとか、途中から飛ばし読みした。そして最終章で、主人公の数々の犯罪歴は両親に関わった人間に対する復讐劇だったことが判明する。またトラウマとなった子供の頃公園で拾ってきた猫の餓死も、その復讐劇の遠因だった。

 

子供時代の主人公の境遇に同情はするものの、同じ犯罪を扱ったジェフリーアーチャーの「100万ドルを取り返せ」の爽快感と異なり、この小説は気が重くなる。

「鬼の冠 ―武田惣角伝― 」(津本陽、双葉文庫)

2015/02/19

身長150cm足らず、体重約50kgの小柄ながら、少年時代「会津の小猿」と呼ばれた武田惣角は、その俊敏な動きと鍛え上げられた肉体で、相撲、剣術、棒術(杖術)、手裏剣術、合気柔術など多くの武術を身に着けていった。特に合気柔術の鍛錬を積んだ惣角は、日本全土を行脚しながら実戦的武者修行を重ね、その神業は天下無敵で、柔道や剣術などの達人らを簡単に投げ飛ばしていった。後年、大東流合気柔術の祖として警察や裁判所などで教える立場になるが、幕末から昭和を孤高の武術家として生きた。昭和17年、84歳で没。

 

武田惣角の名前は、夢枕獏の「東天の獅子」やその弟子・植芝盛平を描いた津本陽の「黄金の天馬」で知った。「柔よく剛を制する」ではないが、格闘家として圧倒的力量を持った本人の活躍をこの目で見たかった。

「誤断」(堂場瞬一、中央公論新社)

2015/02/23

40年前、漁師町に立地する製薬会社の廃液タンクが台風で倒壊し、有害な廃液が大量に湾内に流れ出した。その結果、当時この有害物質に汚染された魚介類を食べたことが原因と思われる神経障害が発生し、台風から1年以内に5人が亡くなった。会社は被害者家族だけでなく、市役所、漁港、地元マスコミ関係者などにも金をばらまき、隠ぺいを図った。しかし町では現在でも、その後遺症と推定される関節痛、手足の痺れ、眩暈に苦しむ地元民が20人を超えていた。

 

駅のホームからの転落死が大阪、札幌、東京で新たに発生した。警察はいずれも自殺として処理したが、3人に共通していたのは病院で処方された同じ薬の服用だった。その薬には、パッケージに記載漏れの成分が含まれており、それが原因で3人は突然歩行困難となり転落したのだ。事故発生時、赤字決算が続く会社は外資系製薬会社との合併で生き残りをかけており、事故原因が表面化すれば合併交渉が白紙に戻ることを恐れて、40年前と同様、金で解決しようと試みた・・・。

高度成長期の水俣病災害を想起させるこの小説では、社会悪と分かっていても、企業存続が絶対と考え理不尽な命令を下す副社長や、生活のためにその社命に従わざるを得ない若手サラリーマンらが登場する。近年、企業のコンプライアンスが今まで以上に意識されるようになったが、自らのまっとうな神経を蝕みながら生きる「会社人間」は現代でも多いのだろう。

「ロスト・ケア」(葉真中顕、光文社)

2015/02/25

老いの介護をテーマにしているが、高齢者を食い物にするオレオレ詐欺も描かれ、気が滅入る作品だった。

 

長年の介護の負担が重く、その苦しみから解放されたいという思いから、要介護の高齢者を家族がやむなく殺すという事件が報じられて久しい。しかし今後さらに社会の高齢化が進んでいく中で、身体が不自由になったり、認知症を発症しただけで人間としての尊厳が剥ぎ取られていく、そのような状況はもっと増えていく。

ある地方都市で、数年間で40人を超える要介護の老人が死んだ。しかし、それは「介護の世界に身を措く者は誰でも、死が救いになるという実感がある。だから被介護者が死ぬことで本人や家族の苦しみから解放させたい。そして、その状況をもっと世の中に知らしめたい」と考えた介護士の殺人だった。