「竿師一代」(潮見三郎、つり人社)

2015/05/02

江戸和竿作りの名人と呼ばれ、釣り人に愛された竿師“三代目竿治”の波乱万丈の生涯を描く。

豊二は母親が自分を妊娠中に陸軍士官の父親を肺炎で亡くし、静岡・清水の料亭で板前頭をしていた親戚筋の松永政吉の養子になった。しかし養父は博打で身を崩し、浜松に逃げ、5歳の豊二を呼ぶ。母親と称する女性は何人も変わった。豊二が竿師に弟子入りするきっかけになったのは、東京の釣具屋の女性店主の紹介だった。そして師匠が35歳で若死にし、未熟ながらも15歳で独り立ちを止むなくされた。

生みの親の顔も知らない豊二。激動の大正から昭和の時代にかけて、震災、恐慌、空襲、愛妻の死など人生の荒波にもまれながらも、周囲の人々の支援を受け、豊二は懸命に釣り竿作りに励む。しかし、昭和40年頃にはグラスファイバーの竿が主流となり、和竿は時代に取り残されていく。豊二、57歳で胃がんで死去。

芸術ともいうべき、抜きんでた職人の技。しかし、その域に達するまでには不安定な生活と自らを律する長い月日の困苦勉励が求められる。また職人を志したすべての者が大成するわけでもない。一方、組織の中での宮仕えはある程度の生活の保障はあるが、滅私の代償がある。本人の資質や性格だけでなく、時代、邂逅(出会い)、運などの要素も加わり、それぞれの人生が形作られていく。

「だまってすわれば 観相師・水野南北一代」(神坂次郎、新潮社)



2015/05/17

鍵屋熊太、のち天下第一の相師(観相家)と謳われた水野南北の一代記。酒、向こう意気の強さによる喧嘩、脅し、女遊びなどを好き放題にするものの、本物の極道になりきれぬ半端やくざの熊太は捕まって入牢を経験する。そして出牢後も飲む、打つ、買うの極道を続けていたが、ある時、出会った乞食坊主から「お前には死相が出ている」と言われる。その乞食坊主こそ、熊太の観相の師・水野海常だった。形だけでも僧になり、生活や心構えを変えていくうち、熊太の死相は消えていた。熊太、後の南北は相学を究めるため、髪結い、風呂屋の三助など直接、相と人物がつながる仕事を続ける。そして、顔相だけでなく、姿勢や体付きなど、総合的な判断で相学の名人となっていく。

若い時、どんな自堕落な生活をしていようと、一念発起して自らの思いを達成しようと人並み以上の鍛錬や努力を続ければ、卓越した能力を身に着けることができるという一例がここにもある。

「人間には、追い詰められると、たちまち意気阻喪して尾を振ってすり寄っていく羊と、斃(たお)されるとわかっていながらも挑みかかっていく狼と、ふたつの貌がある」

「雪炎」(馳星周、集英社)

2015/05/21

元公安職員が自主退職し、出身地の北海道道南市で貧しいながらも農業を始める。その土地は以前、彼の亡き父親が競走馬の飼育をしていたが、経営不振でつぶれた場所だった。登場人物は、主人公の元公安職員と彼の中学生時代の同級生(札幌で評判の高い弁護士、親の会社を継いだ地元建設会社の社長、主人公の元彼女)、弁護士志望の若い娘、主人公の祖父と親しかった原発誘致した元市長、地元やくざの親分とその息子や子弟、フリージャーナリストなど。

物語は弁護士が反原発を唱え帰郷し、負けを覚悟で市長選に出馬するところから始まる。そこに東日本大震災まで原発で潤っていた市を牛耳る現市長ややくざによる選挙運動妨害、主人公の元彼女の死、彼女が札幌時代に付き合っていた男の正体、現市長に怨みを持つ元市長の言動、現市長の不正を暴くデータの存在などがからんでいく。エピローグは、極寒の地で主人公が、やくざに誘拐された弁護士志望の若い娘を愛馬を駈って救いに行くシーン。主人公は、その時指を切断する怪我を負うが、選挙戦大敗後、反原発活動を続ける弁護士の所で働き始める。

この小説のテーマは、主人公の不器用ながらもマイペースの行動力だけでなく、「生きることの本質を見失い、享楽に身を投じ、常に上を望み、顧みることを知らず、あれほどの大震災を目の当たりにしても、それをやめることのできない、こんな国民など、こんな国など、滅びてしまえばいいのだ」という思いだろう。

「『菜根譚』が教えてくれた一度きりの人生をまっとうするコツ100」(段文凝、マガジンハウス)

2015/06/16

「天地は万古有るも、この身は再びは得られず。人生は百年なるのみ。この日最も過ごし易し。幸いにその間に生まるる者は、有生の楽しみを知らざるべからず。また虚生の憂いを懐かざるべからず。(菜根譚前集108)」

天と地は永遠のものだが、人の人生は一回だけ。長生きしてもせいぜい100年。だからせっかくの人生の楽しみを知らなければならない

NHK・Eテレの中国語講師・段文凝はまだ若いのに、「菜根譚」の本を出すとは思わなかった。人生は一回だけ!「菜根譚」は今後もしっかりと読みたい。

「若冲」(澤田瞳子、文芸春秋)

2015/06/26

伊藤若冲と言えば、まず鶏の絵を思い出す。与謝蕪村、円山応挙、池大雅らとともに江戸時代中期の絵師を代表する一人で、若冲は「古今東西の画人があえて筆に起こさなかった生命の醜さ不気味さを直視する冷酷さ」を描く奇想の絵師。写実から出発し、執拗なほどの対象重視、色彩の鋭い対比で、写実を超越した幻想の世界を描き出した。その精華である花鳥図の「動植綵絵」が代表作。流派を作ることなく、単独で行動した。

若冲は京都の青物問屋の大店の長子に生まれたが、商売を投げ打ち、絵一筋に生きた。そのため、若冲の母親や店を継いだ弟らの苛めに耐えきれず、嫁・お三輪は自殺する。お三輪の実弟・弁蔵はそのことで若冲に対する恨みを持ち続け、若冲の贋作を詳細に書き続ける。しかし若冲の胸中には、お三輪の死が生涯淀んでいた。

家庭を顧みない夫、それに苦悶する妻。若冲の孤独と絶望、後悔が描かれる。