「峠しぐれ」(葉室麟)。「縁尋機妙」(良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展してゆく)、「多逢聖因」(人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならない)など、縁についての言葉を思い出した。
「邂逅(かいこう、出会い)と感謝」は人間にとって、その人の人生を決める大切なことだと亀井勝一郎は言った。いつ、どのような状況で、どのような人と出会うか。自分にとっての良い縁を大事にしようと思う。
博多駅前のロータリーにあるベンチで人を待っていた。男二人と女一人の若い三人連れが近づいてきた。「私たちは日韓交流を促進していているグループです・・・」「あなたたちは学生?」「いえ、社会人です」「今日は平日なのに仕事じゃないの?」「今日は休みです」。「ん?」なにか怪しいと思った。相手の一人が一方的に話し始める。その時点で無視することにした。「今の時代が悪い・・・」。あいかわらず、何か言っている。ある程度時間がたって「興味ないから、どっかに行って」と言うと、それでも何か話し続ける。「迷惑と言っているのが分からないのか」。意図的に強い口調でいう。彼らは「すみません」の一言もなく、今度は10mほど離れたベンチに座っていた一人の女性に近づき、何ごともなかったかのよう彼女に向かって話し始めた。何度も同じことを繰り返しているのだろう。
自分たちの主義主張を言うのは構わない。しかしTPOは見極めなければいけない。さらに「己の欲せざるところ人に施すなかれ」で相手が嫌がることをするのは、社会人としても礼儀にかける。そして、人の時間を奪っていることにも気づいていない。
「孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義」(津本陽、文芸春秋)。不世出の大東流合気柔術家・武田惣角の弟子、佐川幸義(1902年/明治35年)~ 1998年/平成10年)の人生を描く。空手や柔道、剣道などのの高段者をものともせず、不敗。師以上の実力があったという。しかし、本人は世に出ることを嫌い、利欲とは無縁の武芸の修練に打ち込み、前人未踏の合気の境地を深めていく。 身長150センチを切る武田惣角、そして165センチの佐川幸義が180センチ近い巨漢を畳に打ち据える。
合気道とは数ある格闘技のなかで最強の武術なのか。 「合気」や「気功」などの「気」に関心がある。内に秘めていく気力が自分にはどれだけあるのだろう。
「橘曙覧『たのしみ』の思想」(神一行)。曙覧は幕末の歌人。福井の豪商の家に生まれたが、家督を継ぐことに自分は適性がないと考え、それを異母弟に譲り、歌人として独立。また福井藩主・松平春嶽公がその才を惜しんで再三の士官を要請するが、曙覧はそのたびに断り、市井の中でひっそりと物質的には貧しい生活の中で、自然を愛し、家族を慈しみ、かといって世を恨むことも愚痴ることもなく、ただひたすら自分の魂に忠実に孤高に、そして自由に生きた。 彼の52の「独楽吟」を読むと「人生の幸福は、たわいない日常の中にある」と感じる。
「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時」
「たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日に出てありく時」
「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」
「たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつづけて煙草すふ時」
「たのしみは意(こころ)にかなふ山水のあたりしづかに見てありく時」
「たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時」
「たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人を見し時」
「たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよる時」
「たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時」
「たのしみは庭に植えたる春秋の花のさかりにあへる時々」
「阪急電車」(無料動画GYAO!、2011年製作。原作は「三匹のおっさん」や「空飛ぶ広報室」などの有川浩)。「宝塚~西宮北口間を約15分で走る、えんじ色の車体にレトロな内装の、阪急今津線。その電車に、さまざまな愛に悩み、やりきれない気持ちを抱えながら偶然乗り合わせただけの乗客たちがいた。電車内という限られた空間で、それぞれの人生がほんのちょっと重なり合い、影響し合い、そして離れていく。数々の出会いが重なり、そこに生まれる小さな愛の奇跡。勇気を持って踏み出せば、いつもとは違う景色が、人生が、そして素敵な出会いが待っていた。」(HPより抜粋)
「泣くのはいい。でも自分の意思で涙を止められる女になりなさい」。彼氏のDVで傷ついていた若い女性が、駅のホームでも彼氏から同じ扱いを受ける。偶然その場面に居合わせ、恐ろしさから泣いていた孫娘に祖母がそう言った。「自分の意思で涙を止める」とは、悲しくても、辛くても主体性を持った強い女性になりなさいということか。 他にも、同僚との結婚を考えていたが、突然、その男性から他の女性と結婚したいと告げられた女性、高価なランチや衣服を自慢し、車内でもうるさく話し続けるおばちゃん連中と子供が同じ学校に通っていたという理由で不本意ながら付き合う主婦、有名大学に通う男女学生、その大学を目指す女子高生、同級生に苛められる小学生らが「阪急電車」を舞台に出会い、それぞれ心地よい感動を生み出していく。いい映画だった。
「富士山噴火」(高島哲夫、集英社)。南海トラフ大震災、首都直下型地震、そして富士山大噴火。近い将来に起こるであろうと予測される大災害だ。本書は富士山大噴火を題材にし、同著者の「首都崩壊」同様、面白かった。一気読みした。
ヘリコプター操縦技術が神業と言われた元陸上自衛隊一等陸佐が主人公。南海トラフ大震災の津波で妻と息子を失い、娘はかろうじて助かる。しかし市民の救助を優先し、家族の救助を後回ししたことで、一命をとりとめた医者の娘は恨みを持つ。主人公はそのことを悔い退官し、知人の経営する静岡の老人ホームの施設長になった。そして、富士山噴火の予兆とみられる火山性微動、噴火、火砕流、山体崩壊が続けて発生するが、主人公はパニックに陥った被災地の状況を冷静に判断し、自らの行動力で自衛隊、病院、市の協力を得て、被災者を救助していく。
このような災害が東京オリンピックが開催される2020年までに起きたら、オリンピックが開催されなくなるだけでなく、日本全土、そして世界中に多大な影響を及ぼすだろう。
「極悪専用」(大沢在昌、毎日新聞社)。定職にもつかず、クスリをやって、次から次に女に手を出し、裏稼業でも最も蔑まれるような汚い銭儲けをしてきた主人公が拉致され、ある高級マンションの管理人助手として働かされることになる。その背景には政治家もやくざも逆らえない祖父ちゃんの思惑があった。
そのマンションは、プロの殺し屋、モグリの医者、詐欺師、亡命した独裁者など「反社会的勢力」による「反社会的勢力」に属する極悪人しか住むことのできない特別な専用高級マンション。部外者は一切敷地内に入ることはできない。マンション居住者は詐欺や殺人をものともしないプロばかりである。主人公、管理人、警察、管理会社、闇の暗殺集団にそれぞれの居住者が面白くからむ。 しかし彼らも皆人間。日々、警察、やくざ、殺し屋に追いかけられていたからこそ、心が安まる場所を求めていた。
「長崎 夢の王国」(典厩五郎、毎日新聞社)。先月(2015/10)の長崎観光を契機に、長崎関係の本を図書館から3冊借りてきた。「オランダ宿の娘(葉室麟)」、「遠藤周作と歩く長崎巡礼」、そして「長崎 夢の王国」。
「長崎 夢の王国」は秀吉、家康、秀忠の時代に、堺、博多と放浪し、後に長崎代官としての地位や権力、そしてポルトガルとの貿易で巨万の財を得た村山等安の半生を描く。26聖人殉教、カステラの由来、当時の長崎におけるキリスト教布教と禁教令、等安に反目する末次平蔵らの登場もあるが、イエズス会などに所属する外国人の名が錯綜し、少々混乱した。しかし、等安が生きた当時の長崎は、異国文化やキリスト教が土地の人々に浸透した活気ある時代を築き、長崎の歴史に濃い内容をもたらした。
「霖雨」(葉室麟、PHP研究所)。本作も著者のテーマである逆境下の志、品格、謙虚、清貧、誠実など人としての凛とした生き方が描かれる。霖雨(りんう)とは、何日も降り続ける雨のこと。
時代は江戸中期。豊後日田で私塾咸宜園を開いた儒者広瀬淡窓と、その弟で豪商博多屋の主人久兵衛を中心に物語が進む。淡窓は郡代の圧政に苦しめられ、久兵衛もやむなく農民を犠牲にした公共事業で彼らから反感を買う。当時、各藩は富裕な商人からの多額の借財を抱え、武家上層部では賄賂や収賄などが横行、一方、各地で飢饉や干ばつがあり、庶民の生活は窮していた。そのような時、不正や窮乏に耐えられなくなった大塩平八郎が義によって大阪で乱を起こす。その影響が淡窓にも及ぼうとしていた。
「大切なのはひとを思う気持ちを失わないことです」は久兵衛が、広島から義弟とともに逃れてきた千世に言った言葉。人を思う気持ち、これこそ仁である。
「影の中の影」(月村了衛、新潮社)。元エリート警察官、ウイグル問題に関心を持つフリーの女性ジャーナリスト、日本最大のやくざ組織の直系組長らに、警察庁、CIA、中国特殊暗殺部隊がからむ。
中国共産党による新疆ウイグル自治区のウイグル人に対する文化、伝統、宗教を徹底的に弾圧する政策は、ウイグルに眠る石油などの資源簒奪と強制移住や言語などのウイグル族の漢族への同化が狙いだ。そして、新型インフルエンザ予防接種の名を借りた人体実験…。そこには人権や自治という概念は存在しない。その中国の非道さを世界に訴えるため、ウイグル人と中国人の9人が日本に密入国した。彼らを無事にアメリカへ送るための闘いが始まる。 元エリート警察官は沖縄で深い心の傷を負ったが、アゼルバイジャンで村人を助けるため村に潜入し、そこでロシアの格闘術「システマ」を会得する。裏切りや中国との癒着はある警察官僚の出世欲が引き起こしたものだった。また中国特殊部隊と命を賭して戦うやくざには、純粋さや優しさがあった。
「土漠の砂」や「槐(えんじゅ)」と同じく、銃撃戦や格闘のシーンは息を切らせない迫力だった。本屋大賞候補?