「おもかげ橋」(葉室麟)。幼馴染の二人は、若い時から一人の女性に恋心を抱いていた。二人はお家騒動が原因で国払いとなり、江戸で暮らすようになる。一人は剣術道場主、もう一人は武家を捨て、飛脚問屋の主人。そこに女性の父親、国元の家老、老中、問屋仲間の主人などの権謀術数がからみ、父の命で江戸に出た既婚の女性を二人は命を賭して守る。そして、ハッピーエンド。
「どうしようもないことを、いつまでも忘れられない」のは人情。愚かと言われようと、忘れられない嫌な過去は誰でもあるだろう。ここでも、思い出したくない嫌な過去を忘れるためには過去や未来に執着することなく、今を懸命に生きろ、という教えが説得力を持つ。
NHKの「超絶凄ワザ」は好きな番組のひとつ。技術者や職人が、不可能と思える課題に挑戦していく。
「夢をまことに」(山本兼一、文芸春秋)。鉄砲鍛冶の主人公・国友一貫斎籐兵衛は、その手先の器用さと技術開発の絶え間ぬ努力で、気砲、弩弓、懐中筆、テレスコッフ(望遠鏡)など、優れた製品を世に出し続ける。夢をまことにするために、日々の仕事に地道に精進する。
「遊んでいられるだけの銭があれば、誰も仕事なんかせんやろ。世の中の人はみんな食べるために仕方なく働いているのやないか」という人がほとんどだ。それだけに「夢物語があるから、人は明日を信じて生きられる。夢をまことにしようと念じればこそ、ひもじくても生きていける」。そのような仕事に就けた人は幸福だろう。
「本も大切だがな。せっかく江戸にいるのだ。人に会いに行け」
「人生は他人の歩幅で歩かなくてよいということです。自分で考え、自分の歩幅で歩かなければ、たくさんの仕事はできますまい」
「人間は、世の中で通用している常識を根拠もなく信じてしまう生き物らしい。何ごとも根本から疑ってかかるべし」
「天地は万古有るも、この身は再びは得られず。人生は百年なるのみ。この日最も過ごし易し。幸いにその間に生まるる者は、有生の楽しみを知らざるべからず。また虚生の憂いを懐かざるべからず」(菜根譚前集108)(天と地は永遠のものだが、人の人生は一回だけ。長生きしてもせいぜい100年。だからせっかくの人生の楽しみを知らなければならない)
NHK・Eテレの中国語講師・段文凝はまだ若いのに「菜根譚」の本を出すとは思わなかった。(「菜根譚」が教えてくれた一度きりの人生をまっとうするコツ100」、マガジンハウス)。「菜根譚」は今後もしっかりと読みたい。
「仏意を憂うるなかれ。快心を喜ぶことなかれ。久安を恃むなかれ。初難を憚るなかれ」(思い通りにならなくても落ち込むな。思い通りになっても喜び過ぎるな。平和だからと言ってもあてにするな。壁にぶつかってもいつまでも怖がるな。心はいつも「塞翁が馬」)
「貧家も浄く地を払い、貧女も浄く頭(こうべ)をくしけずらば、景色は艶麗ならずといえども、気度は自ずからこれ風雅なり。士君子、一たび窮愁寥落に当たるも、奈何(いかん)ぞすなわち自ら廃弛(はいし)せんや」(貧しい家も庭先を掃き清め、貧しい女性もきれいに髪を梳かしていると、華やかさはなくても凛とした品格が生まれてくる。不遇な目に遭っても、品を落としたり自分を諦めてはいけない)
「恬(てん)に棲み、逸を守る味わいは、最も淡にして、また最も長し」(心安らかな生活を大事にする生き方は、しみじみとした味わいがあってしかも長続きする。長続きする本当の幸福とは、決して派手な味わいでなく、野菜のように淡白なものである)
「道徳に棲(せい)守(しゅ)するものは、一時に寂寞たるも、権勢に依阿するものは、万古に凄涼たり」(正しい生き方のせいで不遇な目に遭っても、それは一時的なもの。権力にすりよってへつらう生き方は、一時的には栄えたとしても不名誉は死んだ後も続いてしまう。だから、不遇な目に遭っても生き方を変えてはいけない)
「徳は量に従いて進み、量は識に由りて長ず。故に、その徳を厚くせんと欲せば、その量を弘くせざるべからず。その量を弘くせんと欲せば、その識を大にせざるべからず」(優れた人間になる器を大きくすること。器を大きくするには見識を養うこと。大事なのは寛容さと賢さ)
「学を講じて躬行を尚(とうと)ばざれば、口頭の禅たり」(学問を講じても何もしないなら、頭でっかちの口先人間)
「小処にも?漏せず、暗中にも欺隠せず、末路にも怠荒せず。わずかにこれ個の真正の英雄なり」(ちいさなことだからとなおざりにせず、人が見ていないからとごまかしたりせず、どん底だからと自暴自棄にならない。こうしたことができてこそ英雄である)
「冷眼をもて人を観(み)、冷耳もて語を聴き、冷情もて感に当たり、冷心にて理を思う」(冷静な目で人を観察して、冷静な耳で人の言葉を聞いて、冷静な感情で物事を感じて、冷静な心で道理について考えること)
「心和らぎ気平らかなる者は、百福自ずから集まる」(心が穏やかで落ち着いている人は多くの幸福が集まってくる)
「ただこれ、前念滞らず、後年迎えず、ただ現在の随縁を将て打発し得去らば、自然にして無に入らん」(過去にくよくよせず、未来にびくびくせず、ただ目に前のことにひたすら取り組めば、自然と無の境地になれる)
「人の小過を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念わず。三者は、以って徳を養うべく、また以って害を遠ざくべし」(ささいな過失を責め立てず、隠し事を暴き立てず、過去の失敗をいつまでも覚えていない。人に対してこの三つの心がけができれば、自分の徳を養えるだけでなく、災いを遠ざけられる)
「人の詐を覚るも、言に形(あら)わさず。人の侮りを受くるも、色を動かさず。この中に無窮の意味あり、また無窮の受用有り」(人が自分を騙そうとしていることに気づいても、何も言わない。人が自分を馬鹿にしていることに気づいても、顔色を変えない。その態度には言い尽くせない意味と働きがある)
「Black or White」(浅田次郎)。筆者の空想力、意外さと唐突さの連鎖がこの本でも冴える。 「ブラック オア ホワイト」は黒い枕と白い枕のことで、白い枕は美しい夢を見させ、黒い枕は悪夢になる。そして夢の中はいつも、現実にはまるで見覚えのない、彼の恋人が住んでいる。元商社マンである主人公は、その現実と夢を交錯させながら、スイス湖畔、パラオ、インド・ジャイプール、北京、そして京都で起きたさまざまな出来事を旧友の「わたし」に語り続ける。
「幸福には希望という不確かな要素が含まれているが、不幸は揺るがぬ現実に支配されている」。貧乏、けがや病気、死、別離、敗北、詐欺、裏切り、事故、怨憎など、「不幸」は時や場合、人生経験、本人の心構え等でそれぞれ異なるのだろうが、誰にも現実に起きることには違いない。
「高峰秀子の引き出し」(斎藤明美、マガジンハウス)。著者は晩年の高峰秀子・松山善三の養女となり、高峰の日常生活の言動を見つめてきた。「高峰秀子の流儀」「高峰秀子の言葉」など、その一連の著作を読むと、高峰の人に対するまなざしの深さや人間への慮り、気取らず、気張らず、自然、それでいて凛とした風格、黙って人を思う配慮、自分の身の周りに起こったことに翻弄されない冷静さなどが伝わってくる。
学校生活は、人生を通してわずか二か月。その劣等感からか、辞書を引き読書に没頭した。そして主体性のある思索と行動が彼女の素晴らしい人間性を作った。
「人の時間を奪うことは罪悪です」。その通りだと思う。しかし、そのことに気づかず、一方的に自分の事だけを話す者がいる。まるで、うわ言のように。
「乱世を勁(つよ)く生きる」(中野孝次)。新聞、雑誌、書籍、テレビ、そしてネット。情報があふれている。その取捨選択は何のためにするのか。仕事の判断材料、生活の知恵、行動の指針…。しかし、その情報は本当に必要なのか。なくても生きていけるのではないか。できるだけ捨て、シンプルに生きていければいい。
「人間についての大事」とは何か。今の世をいかに生きるべきかを考え、真摯にその時代を生きるための最低不可欠で本質的な情報を得ながら行動すること。他人の評価を気にせず、己の心の内に目を向けること。自分の人生を肯定し、生き切ること。命、心、時間、自由、そしてサムマネー。
ネット動画「Gyao」で中国テレビドラマ「三国志」(全96話)を放映している。「三国志」は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史。多くの諸侯同士の争いを経て天下が魏・蜀・呉に三分され、それぞれのリーダーや軍師らが権謀術数を弄してなおも覇権を求めていく。
上海在住時、武漢に観光に行った。荊州から知人のS君が空港まで迎えに来てくれた。ここも「三国志」のひとつの舞台であり、亀山には劉備、関羽、張飛、そして趙雲の像があった。
孫権・劉備軍と曹操軍が対決する「赤壁の戦い」を控え、曹操が杯を手に詠んだのが、この「短歌行」。「酒を前にしたら、とことん歌うべきだ。人生がどれほどのものだというのか。まるで朝露のように儚いものだ」 秀吉も「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」(露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまった。この身であることよ。大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった)と詠んだ。まさに、たとえ覇権を握ったとしても人生露の如し。生は短く、死は万人に平等である。
「高峰秀子の言葉」(斎藤明美)。ストレスの原因のひとつに、人間関係がある。職場、家庭、友人などとの関わりを通して、相手から発せられた言葉や態度に不快感を持つ時、ストレスが生じる。しかし怨憎会苦という言葉もある通り、社会生活をする以上、このようなことはいつも起きる。 人は自分の発言が正しいと思い込み、相手が自分の言葉をどう思うかなど斟酌せず、言いたいことを言う場合がある。相手が反論しなかったり、寡黙であったりすれば、図に乗ってさらに一方的に、好き勝手に言う。そして相手が傷つこうと、自分の発言はすぐに忘れる。
正当な意見であれば素直に受け入れるべきだが、相手の気持ちを考えずに発する言葉は、その人の評価を下げることに気づいていない。要は自分の事で精いっぱいで、相手のことなど一時的にしか考えていない、ということだろう。
近所の公園横の道路を歩いていた。何気なく公園の中を見ると、赤と白の運動帽子をかぶった5,6人の保育園児とその母親らが目に入った。園児らはそれぞれ広がって勝手に遊んでいる。母親らは集まって何か話している。普段の風景だ。その時、二人の園児が近くに走って来て立ち止まり、一人がもう一人に向かってこう言った。「許さんけんね!」そして手を出し、もう一人が抵抗しようとした。母親らは少し離れていたものの、話に夢中なのか気が付かない。自分は二人を見過ごして、そのまま歩いて行ったので、結果がどうなったかは分からない。
「許さんけんね!」。「許さない」という言葉をあの男の子はどこで覚えたのか。わずか3、4歳の子供の言葉の吸収力は早い。意味も理解しているのだろう。テレビそれとも両親の会話?もし後者であれば、あの話に夢中になっている母親のうちの誰かの家庭内での出来事だ。覚えるなら、もっと愛情のある言葉のほうがいい。
「雨に泣いている」(真山仁、幻冬舎)。東日本大震災が発生し、東京本社社会部記者の主人公は援軍として、仙台支局に派遣される。現地の被災状況を取材し原稿を東京へ送っていた時、偶然に地元民から敬愛されていた寺の住職が実は昔東京で老夫婦を惨殺し、逃亡してきた犯人であることを知る。その住職は津波の被害に遭い亡くなっていたが、他社はそのことにまだ気づいていない。スクープだ。そして、エピローグの展開が一気に読ませる。
新聞購読者数はネットやテレビに押され漸減傾向にある。しかしまだまだ有力なメディアであることには違いない。善であれ悪であれ、真実を読者に伝えようとする主人公、彼を支えようと裏付けデータを収集する部下、社内の政治的な思惑から打算を優先しようとする社主や上司、社主の孫娘である新米記者、ライバル社の老練記者、そして被害を受けた地元民。多くの登場人物が本書を形成する。 「言葉を失ってはいけない。とにかく目に映るもの、聞こえる音、声、匂い、そして何より、それでも生き続ける被災者の息遣いを伝えるのだ」。より詳細で具体的な取材や自己の信念に基づき、言葉を駆使して真実を伝えようとする主人公に魅力を感じる。
「何より、記事は生きている人のために書くんだぞ。生きている読者は、その死をもっと身近に考えたり、生きることの意味を考えたりするかもしれない。だから具体的な記事がいるんだ」
「過去の過ちを思い通りに消せたら誰も苦労しないだろ。それができないから苦しむんじゃないか」