何が起こっても窮しない人生の真理と機微

人はつねに菜根を噛みうれば、すなわち百事なすべし

「菜根譚講話」は、中国・明代の洪自誠が書いた「菜根譚」を明治の禅僧、釈宗演が日本人のメンタリティに合わせて分かりやすく訳したものである。「菜根譚」は、宋代の儒者・汪信民の「人はつねに菜根を噛みうれば、すなわち百事なすべし」(野菜の根は硬くて筋が多いが、これをかみしめてこそ、真の人生の意味を味わうことができる)から引用されたもので、人生の処し方の要点を説いている。

「菜根譚」を読むと、儒教・仏教・道教を学んだ洪自誠が人生の苦難を身を持って体験し、人生の真理とその機微を思索したことが察せられる。洪自誠は本書の中で「天がわが肉体を苦しめるように仕向けるならば、私はその労苦を労苦と思わない心になって見せよう。天がわが境遇を行き詰らせるように仕向けるならば、私は自分の道を高く保って切り抜けるようにする」と述べている。「菜根譚」が「逆境の書」とも言われる所以であろう。

「日々の生活の中で、いかに心を保つか」は思想書や宗教書の基本テーマのひとつであるが、この「菜根譚」は、洪自誠が刻苦勉励の清貧生活の中で己を磨き、並々ならぬ修養によって会得した「いかなる困難な状況の中にあっても、真実を見極め、肯定的に心を整えることの重要性」を説いているのではないか。

「菜根譚」で思い浮かべるのは、「人の小禍を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず」「久安を恃(たの)むなかれ」「花は半開を看、酒は微酔に飲む」くらいだが、今回、改めて読み直すと、結構、本に線を引いていた。

●「逆境の中(うち)に居(お)らば、周身みな鍼砭薬石(しんぺんやくせき)、節を砥ぎ行いを礪(と)いて覚らず(前集99)」。自分の意が思うままにならないとき、自ら冷静に反省し謙虚になる。そして周囲の動向を主体性をもって観察・思索・行動し、捲土重来を図る。吉川英治は「我以外皆師」、池波正太郎は「自分の周りのものすべてが、自分を磨く磨き砂だ」と言った。

●「燠(おう)なればすなわち趨(おもむ)き、寒なればすなわち棄つ。人情の通患なり(前集143)」。人は裕福な時にはすり寄ってくるが、いったん落ちぶれると、たちまち見捨てて顧みない。「母に捧げるバラード」で一世を風靡し、紅白歌合戦にも出場した海援隊の武田鉄矢は、その翌年の大みそかに、ラーメン屋で皿洗いのアルバイトをしながら、同じことを思ったという。金、地位、権力の有る者には手もみをしながら近づき、自分に得るものがないと考えれば、手のひらを返すように去っていく。「他人は他人、自分は自分」と割り切り、そのようなものがなくても、まずは人間的魅力を高めるようようと努めることだ。

●「人常に死を憂い、病を慮(おもんぱか)らばまた幻業を消(しょう)して、道心を長ずべし(後集24)」。いつも死を意識し、病のことを心配していれば、色欲名利よりも、もっと大切なものがあることが分かる。「生の充実」である。自分には、なかなかできないが・・・。

●「ただこれ前念滞らず。後念迎えず、ただ現在的の随を将(も)って、打発し得去れば、自然に漸漸無に入らん(後集81)」。過ぎ去ったことはくよくよせず流し去り、将来のことに心を悩まさず、ただ日々、目の前に起こることを淡々と行っていけば、自然と無心の境地に入ることができる。荘子の「送らず、迎えず、応じて蔵せず」から採ったのか。

●「人生の福境禍区は、みな念想より造成す(後集108)」。要は、自分の心の持ちよう次第。「人生は心ひとつの置き所(中村天風)」「幸せは、いつも自分の心が決める(相田みつを)」

●「人生一分を減省すれば、すなわち一分を超脱す(後集131)」。禅語に「放下着(捨ててしまえ)」という言葉がある。元の耶律楚材も「一利を興すは一害を除くにしかず、一事を生(ふ)やすは一事をへらすにしかず 」と言った。不要な物や事はできるだけ増やさず捨てること。その分、心は自分に向かう。

「菜根譚」は、何度も味わって読むべき良書である。