「透明な力─不世出の武術家 佐川幸義」(木村達雄、文春文庫)

2016/07/18

夢枕獏の「東天の獅子」は格闘技小説として、とても面白かった。しかし佐川幸義の名前はなく、彼の名前は津川陽の小説「孤塁の名人」で初めて知った。柔道、空手など他の格闘技に対しても不敗だった武田惣角、合気道の祖・植芝盛平…。しかし、大東流合気柔術・中興の祖といわれる武田惣角の直弟子のひとりである佐川幸義は彼らをもしのぐ最強の格闘家だったという。佐川幸義本人はまさに孤高の天才だったのだろう。身長163cm。享年95歳(1998年)。

「自分の工夫と鍛錬で強くなっていくのであり、それで戦いに負けて殺されても、それは仕方ない。すべて自分の責任でやる。他に頼らない」

「人に頼ってはいけない。人が自分を強くしてくれるわけではない。自分の工夫や努力で強くなっていくのだ」

「いのち買うてくれ」(好村兼一、徳間書店)

2016/07/30

徳島藩武具奉行下役・遠山弥吉郎は重臣・山田織部の策謀で、妻子とともに国許を出奔し、大阪へ向かうが刺客が待っていた。大阪から江戸へ向かう船中での関所改め、知人のつてで商家の離れ家に安住の地を定められたと思った矢先の火難、家族を養うための口入れ屋通い、左官手伝い…。武士の自尊心と山田織部への復讐を胸に秘め、一家艱難辛苦の顛末が描かれる。そして、ハッピーエンド。

「世の中、人それぞれに荒海を乗り切ろう、苦難の峠を越えようと懸命なのだ」

「片や遊蕩思うがままの富豪がおり、片や食うや食わずの困窮人がおるなどという理不尽」

「荒法師運慶」(梓澤要、新潮社)

2016/08/02

「美しい。生きている。慄(ふる)えの底で、新しい美の世界をわたしははっきり見ていた」。主人公・運慶が父・康慶に連れられて訪れた長岳寺の阿弥陀三尊を見るシーンから、この小説は始まる。それから十余年、柳生円城寺の大日如来像制作を皮切りに、興福寺再興事業への参加、源頼朝・実朝・北条政子・北条義時など鎌倉幕府関係の仕事、そして男性的な力強い表情で知られる奈良・東大寺南大門 金剛力士立像(国宝)を自らが中心となり、快慶、定覚、湛慶ら一門の仏師を率いて制作する。仏像制作を通して、運慶の煩悩、執着、我欲、嫉妬、苦悩が描かれる。

仏像は信仰の対象のみならず、鑑賞に値する芸術品である。見ていて美しい。中国上海の静安寺、龍華寺、玉仏禅寺などで見た仏像(金箔のものが多かった)と違い、日本の仏像は木を素材にして、様々な変化をつけた衣や体躯のデザインが質感や重厚さを感じさせる。

「あの日」(小保方晴子、講談社)

2016/08/05

「STAP細胞はあります!」不正データの捏造だとするマスコミの前で、彼女はそう言い放った。しかし、第三者が再生できなかったことで彼女に対するバッシングはさらに強まり、肉体的にも精神的にもボロボロになって、最後は研究者としての道が閉ざされていく…。

STAP細胞は本当に存在するのか。iPS細胞が脚光を浴びる中、STAP細胞が存在し、それが人類に貢献できるとすれば、やはり彼女の言葉を信じたい。

本書では、研究者としての彼女の履歴、STAP細胞の「発見」、恩師の自殺、指導教官との確執、NHKをはじめとするマスコミの「社会風潮の中で誰が悪人で誰が善人であるのかの構図がすでに作り上げられている悪意」、そして研究に対する一途な思いが描かれる。

本書を読む限り、彼女の欺瞞や不正は感じられない。彼女への嫉妬や理化学研究所など関係者の自己保身という「どろどろとした研究者の世界」の中で、「真実」を伝えようとした彼女にとって、この手記という手法でしか、自己の正当性を訴えることができなかったのだろう。

「毎日新聞の須田記者は、取材という名目を掲げればどんな手段でも許される特権を持ち、社会的な善悪の判断を下す役目を自分が担っていると思い込んでいるかのようだった。どんな返事や回答をしても、公平に真実を報道しようとせずに、彼女が判定を下した善悪が読み手に伝わるように記事化し、悪と決めた私のことを社会的に抹殺しようとしているかに思えた」

「風聞き草墓標」(諸田玲子、新潮社)

2016/08/20

佐渡勘定奉行・荻原近江守重秀の名前を知ったのは、相場英雄の 「御用船帰還せず」だった。五代将軍綱吉は重秀を重用し初の貨幣改革を断行させた。重秀の死後、息子・源八郎が佐渡奉行の一人として登用される。父の変死から20年が経っていた。もう一人の佐渡奉行・萩原源左衛門の娘せつは、重秀の死に父の関与を疑い、真相を知るために、偶然手にした矢立の中に入っていた文を手に佐渡へ向かう。しかし源八郎もまた、何者かによって命を狙われていた。ちなみに「風聞き草」とは、萩の花とのこと。せつの毅然とした行動力が小説を盛り上げる。

「大地震や富士の大噴火が続くなか、佐渡島の鉱山開発、貨幣改鋳の断行など財政の舵取りを担った荻原重秀。辣腕勘定奉行は解任され、その翌年、落命した。二十年の時を経て、その死の実態を記した文書が出回る。荻原の近くにあった父に不信感を拭えず、娘のせつは佐渡を目指す。歴史の暗部と父子の葛藤を見事に描き切った大作」

「人は日常の些細な行為を深く考えもせず繰り返している」「他人を出し抜かず怨みを買わず、よこしまな策謀も企てず、おだやかに日々を過ごす」