「赤めだか」(立川談春、扶桑社)

2016/01/14

昨年、テレビドラマ「下町ロケット」の出演で注目された落語家立川談春の自伝。17歳で立川談志に弟子入りし、平成9年(32歳)に真打昇進した談春の師匠に対する思い入れや感謝が伝わってくる。「患うほど気を遣え」と言われた前座時代の苦労や真打襲名で先を越された同門志らくへの嫉妬(?)、そして人間国宝だった柳家小さん(談志の師匠)や桂米朝の愛情なども描かれる。ちなみに。題名の「赤めだか」は、談春が前座時代に談志から「金魚を買ってこい」と金を渡され、買ってきた赤いめだかのこと。

                

前座から二ツ目になるために、談志が求めた立川流の基準は、古典落語なら五十席覚えること、寄席の鳴り物を一通り打てること、講談の修羅場を噺せることなど。談春ら門弟4人は限られた時間の中でそれらをクリアしていくが、途中で挫折し落語家への夢を断念する者も多かった。本書は談春の青春時代だけでなく、旧態以前たる落語界の不文律に反発し、弟子を愛情をもって育てた談志の人間性も書いている。人生で、このような師匠に出会えた者は幸せだろう。

                

「いいか芸人に限らず、現状を改善するには行動を起こすんだ」

「キングダム」(新野剛志、幻冬舎)

2016/01/29

何年か前、新宿での歌舞伎俳優市川海老蔵暴行事件や六本木集団暴行死事件で注目された半グレ集団関東連合元幹部とやくざの内情を描く。主人公は闇金、オレオレ詐欺、AV、売春あっせん、暴力などで大金を稼ぎ、会社経営者、政治家、暴力団とも繋って自らの「王国」を拡大、金と女を意のままに操った男。そのモデルは、フィリピンに潜伏中といわれる見立真一か。

この小説は、普通の生活をしている一般人なら一生関わることのないだろう闇の世界が舞台だが、登場人物は概して幼少年時代、不幸な家庭生活を送って来た。家庭環境が人間形成に影響があるとはいえ、警察は容疑者の生い立ちや生活背景ではなく犯罪に目を向け取り締まることが仕事。しかし、このような闇社会は今後もなくなることはないだろう。

「空也上人がいた」(山田太一、朝日新聞出版)

2016/02/01

29歳の介護士が、勤めていた介護施設でストレスからか入居者を車椅子から放り出して死なせてしまい自ら退職。彼は46歳の女性ケアマネジャーの紹介で、新たに自宅で車椅子生活をする81歳の老人の個人的世話をすることになる。独身のケアマネジャーは介護士に恋心を抱いていた。老人は突然、介護士に京都の六波羅密寺に行き、そこにある空也上人の像を見て来いという。なぜ空也上人なのか。老人にも昔、消し去りたい忘れがたいことがあった。三人三様の思いが交錯していく。

自分も年老い、あの老人のように人の介護を受けなければ生きていけない時がいつか来るかもしれない。シナリオライターの「山田太一」と「空也上人」に惹かれて手に取った。生と老い、そして死が日常のものとして描かれた本作品だが、心に残った。

「光陰の刀」(西村健、講談社)

2016/03/30

昭和7年の血盟団事件で銃弾に斃れた三井合名会社理事長(三井財閥総帥)・団琢磨、その血盟団を指揮した日蓮宗僧侶・井上日召。前者は経済で、後者は要人テロで、国家存亡の危機を救おうと図った。福岡、東京、アメリカ、大牟田、群馬、中国、茨城などを舞台に、二人の私欲を超えたそれぞれの活動が展開していく。

明治から昭和にかけての我が国の歴史を知るには、550ページの大作にも関わらず、勉強になった。多くの骨太な人間模様のなかで、三池炭鉱で没した山海権兵衛や息子駒吉は実在の人物だったのか。ちなみに頭山満、安岡正篤、四元義隆らの名も出てくるが、安岡に対し、著者は自己保身だけの学者と評している。

「人間の恐怖は分からないことから生じる」「光陰矢の如しというが、時間は矢ではない、刀だ。時として牙をむく。思わぬ瞬間、切り付けてくる」

「わが屍は野に捨てよ - 一遍遊行」(佐江衆一、新潮社)

2016/04/08

時宗の開祖一遍は鎌倉時代中期の僧侶。四国伊予国の豪族の子として生まれ、10歳で出家。13歳で大宰府に移り、法然の孫弟子に当たる聖達の下で10年以上にわたり浄土宗を学ぶ。その後、「踊念仏」と「賦算」(「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と記された念仏札を庶民に配ること)で時衆を率い全国各地で遊行(ゆぎょう)を続けた。享年51歳。

本書に「清浄の煩悩」という言葉がある。五体に充満する愛欲の煩悩、世俗の一切の欲を捨離しようと煩悶する、中でも女体を犯してなお捨欲できぬ一遍の姿が描かれるが、煩悩をきれい、汚いと分けることができるのか。

「花のことは花に問え、紫雲(念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎する雲。吉兆とされる)のことは紫雲に問え、一遍は知らず」

「をのずからあいあうときもわかれてもひとりはをなじひとりなりけり」