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(21)今や珍しい燕

都市化とともに、えさとなる虫が消滅したせいか、燕を見なくなって、どれほどの年月が経ったのだろう。昔は、軒下などでよく見かけたものだ。燕は梅雨のイメージがあったが、今はまだ5月。

もっと、大きなショットをねらったが、すぐに飛んで行ってしまった。今度のシャッターチャンスはいつあるのだろうか。

(22)74式戦車

陸上自衛隊第4師団60周年・福岡駐屯地開設64周年の記念行事が催され、自宅から近い基地内が開放された。

以前、埼玉県の朝霞駐屯地で自衛隊のヘリコプターに試乗したことがあったが、今回は時間的にヘリコプターは見ることができなかった。

基地内には、自衛隊各車両や装備品が展示されていた。なかでも105m砲などを装備した74式戦車が印象に残った。島国日本では有事の際、海上自衛隊や航空自衛隊の戦闘はあり得るが、この戦車は、どういう状況で使用されるのだろうか。

(23)早くも6月

家族を北京に残し、福岡で働く中国の友人から、「福岡市美術館に行くので、久しぶりに会わないか」との電話。彼は書、塑像、山水画に長けており、仕事もデザイン関係。早速、出かけた。

写真は、途中の舞鶴公園内で見かけた、あやめと蓮の花。前回、訪れたのは桜の季節。そして今は、早くも6月。

(24)那珂川町岩門城

少弐景資(しょうにかげすけ)は、鎌倉時代の那珂川・岩門(いわと)城主で、文永の役(1274年)の時の総大将。その末裔である知人に誘われて、元寇や岩門合戦時の景資を描いた那珂川町の素人劇団による公演を見に行った。

写真左手の小高い山が、城のあった岩門山。田植えが終わった田んぼに、その山影。700年以上の時を経て、当時と変わらぬ風景が今も残っている。奥は背振山系。

(25)朝顔と蝉

7月初旬に種をまいた朝顔が芽を出し、今はその葉と蔓(つる)がネットの糸にからむように、少しずつ上に向かって伸びている。蔓にある微小な毛が、センサーの役割を果たしているのか。そして、この朝顔は、やがて花を開き、いずれは枯れていく。

台風の影響か、梅雨が戻ったかのように数日間小雨が降り続け、プランターの土は十分に湿っている。今日は、蝉時雨の音で目が覚めた。いつものように、朝顔の成長を見ようと窓を開けると、一匹の蝉が葉に停まっていた。何をしているのだろうか。最近、公園や路上で死んだ蝉を見かけることがある。蝉の寿命は一週間から一か月と聞く。

夏の風物詩である朝顔と蝉。「無常」や「生命」をこのような自然を通しても感じ、感傷的になる。

(26)木造家屋の解体

道を隔てた向かいの木造家屋を解体している。坪数約40坪。無人で築50年ほど経っている。戦後建てられたこのような家屋は自分が住んでいる地域一帯にあり、庭付きの長屋形式で2軒が棟続きだったが、現在は老朽化し新築されている。しかも、そのほとんどが瓦屋根の木造住宅ではなくスレート瓦の洋風建築となり、庭は駐車場となった。

昭和30年代、戦後の復興が進みつつあったころ、三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機はまだまだ普及していなかった。夏は蚊取り線香と今や死語となった蚊帳が必需品で、台風シーズンには雨戸が飛ばないように板でくぎ打ちしていた。

時を経て、今や少子高齢化の時代。人口減少が進んでいる。近所は櫛の歯が抜けるように空き地が少しずつ増え、専用駐車場になるところもある。30年後、50年後には老朽化した家屋が建て替えられないまま、もっと空き地が増えていくのか。

(27)朝顔が育っている

朝顔が随分伸びてきた。ネットの紐や自らの蔓を支えに上へ上へと成長していく。いくつか花も咲き始めた。そして萎んでいく。

五木寛之の著作の中に、「朝顔は闇の底に咲く」という言葉があった。彼は「朝顔の花が咲くためには、冷たい夜の時間と闇の濃さが必要ではないか」と説く。悲しみ、憂鬱、不安、淋しさ・・・。そういった人間の感情を経てこそ、喜びや感動もあるということか。

葉の上にテントウムシがいた。花の蜜を求めてクロアゲハが飛んできた。自然界の営みを身近に感じている。

そして・・・。しかし翌年の種をたくさん残していった。

(28)おはよう!

朝8時頃、幹線の十字路の横断歩道で、登校する小中学生に小旗を手にした複数のボランティアの人が「おはよう!おはよう!」と声をかける。しかし、子供らは誰一人として、「おはようございます!」と返事をせず、その声を無視するかのように、黙って横断歩道を渡っていく。すぐ近くにある中学校の校門前に掲げられた「挨拶」という文字が空しい。

(29)今年も見られると思っていたが・・・

コスモスを見ようと、水城まで行った。しかし、昨年と違い、今年はそこのコスモス畑はなくなっていた。やむなく、数キロ先の都府楼跡(大宰府政庁跡)と観世音寺まで足を延ばす。水城に比べれば狭い畑だったが、コスモスが目に入った。薄紅色の花が秋空に映える。四季を通して、この辺りの閑静で落ち着いた雰囲気が好きだ。

(30)福岡の百貨店も時代と共に変わる

天神三越のガラス壁に、向かいの大丸の建屋が映っている。天神は福岡最大のショッピング街。百貨店だけでなく、専門店、チェーン店が売り上げを競い合う。

以前、福岡の百貨店と言えば、岩田屋、玉屋、井筒屋があったが、現在、岩田屋は伊勢丹傘下となり、玉屋は閉店、博多駅の井筒屋は阪急に変わった。福岡の流通地図は変化し、中央の大手資本に飲み込まれていく。

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