松涛園(しょうとうえん)

元文3年(1738)柳川藩5代藩主立花貞淑は、政務の疲れを癒し、家族と和やかな時を過ごすための場所として、柳川城の南西隅に別邸を設けた。当時この辺りは「御花畠」といわれていたことから、柳川の人々は親しみを込めて、「御花」と呼ぶようになった。 明治時代になると、御花は立花伯爵家の邸宅となり、14代当主寛治は明治42~43年にかけて、迎賓館としての西洋館と、それに続く和館の大広間という、当時流行の形式の邸宅を整えた。クロマツに囲まれた庭園「松涛園」は、昭和53年、国の名勝に指定された。

参考

「川下り」や「うなぎ飯」で知られる柳川。御花は、その観光の中心地であり、近くには北原白秋生家、戸島邸庭園などがある。御花の庭園・松涛園は松に囲まれ、カササギと鴨が遊ぶ。池の水が少し汚れており、俗化した印象。