冗より閒(かん)に入りて、しかる後に閒中の滋味最も長きを覚ゆ。(後集16)

多忙でわずらわしい状態を抜け出して、ひとたび閑暇なときを持てるようになると、閑暇であることが格別にのどかで悠々としていることが、しみじみ実感できる。

人常に死を憂い、病を慮(おもんぱか)らばまた幻業を消(しょう)して、道心を長ずべし。(後集24)

いつも死を意識し、病のことを心配していれば、かりそめごときこの世の罪業である色欲名利に惑わされることなく、真の道を求める心を養い続けていくことができる。

死時に心を動かさんとせば、すべからく生時に事物を看得て破るべし。(後集26)

死に臨んで取り乱さず、安心して大往生を遂げようと思うならば、普段元気な時に、物事の本質を十分に見極めておかなければならない。

出世の道はすなわち世を渉る中に在り、必ずしも人を絶って以て世を逃れず。(後集41)

俗世間を超越して心を清く保つ道は、必ずしも世の人との関係を絶って山林に隠棲しなければできないというものではない。人々のなかにいりまじって世の中を渡っていくところに見出すことができる。

この心、常に、静中に安在せば、是非利害、誰か能く我を瞞昧(まんまい、騙して欺く)せん。(後集42)

わが心をいつも静かで安らかな境地に保っていれば、世間の批判や利害で心をくらまされることがない。

その中を虚にするものは、涼、酷暑に生じ、朝市もその喧を知らず。(後集52)

心に欲がまったくない人は、真夏の酷暑のなかに涼しい風が起こるように、騒々しい雑踏にあってもその喧騒を感じない。

瘁より栄を視れば、以て粉華び麗の念を絶つべし。(後集57)

ひとたび落ちぶれた時の気持ちになって順風のときを眺めれば、うわべだけの華やかさを求める心を断つことができる。

冷落の処に一熱心を有すれば、すなわち許多の趣味を得ん。(後集59)

する事、なす事、すべて思うにまかせないという落ちぶれたさなかにあっても、情熱を燃やして事にあたれば、さまざまな真の趣きを味わうことができる。

素位の風光はわずかにこれ個の安楽のか巣なり。(後集60)

何の地位もないことに甘んじてのんびりと暮らすことが、一番安楽な境地なのである。

君子、むしろ黙するも躁なるなく、むしろ拙なるも巧なるなき。(後集71)

立派な人物は、沈黙を守ってあれこれ口を出さないし、無能をよそおって才能をひけらかさない。

物欲に覊鎖(きさ、馬の手綱を縛り付ける)さるれば、吾が生の哀しむべきを覚え、性真に夷猶(いゆう、満足して安らいでいる)すれば、吾が生の楽しむべきを覚ゆ。(後集73)

物欲に縛られている間は、人間は悲しいことばかりだが、本性に目覚めて悠悠自適に生きていけば、人生は楽しむべきものとなる。

ただこれ前念滞らず。後念迎えず、ただ現在的の随を将(も)って、打発し得去れば、自然に漸漸無に入らん。(後集81)

過ぎ去ったことはくよくよせず流し去り、将来のことに心を悩まさず、ただ日々、目の前に起こることを淡々と行っていけば、自然と無心の境地に入ることができる。

見るべし、性天いまだ常に枯槁(ここう)せず、機神最も宜しく触発すべきを。(後集90)

あらゆる物音が静まって、あたりがひっそりしたとき、ふと鳥が鳴く一声を聞くと、それだけでえも言われぬ趣を呼び起こす。秋になって草木が枯れた後に、思いもかけず一本の枝にだけ元気に花がついているのを見ると、限りない生命力を覚える。人の心はけっして枯れきってしまうことなく、生き生きとした精神は物に触れて呼び覚まされる。

福を倖(こいねが)いて、その禍の本たるを知り、生を貧(むさぼ)りて、先ずその死の因たるを知るはそれ卓見か。(後集98)

幸福を願い求めながらも、それがじきに災いを招くもととなることを見抜き、また長生きしたいと願い求めながらも、それがじきに死にも通じる道となることを知っている人こそ、ほんとうにすぐれた見識を持った人である。

人生の福境禍区は、みな念想より造成す。(後集108)

幸福といい、不幸といい、すべて自分の心が作り出すものだ。「恨みつらみも気の持ちようでなるぞ鬼にも仏にも」。

花は半開を看、酒は微醺(びくん)を飲む。盈満を履(ふ)むもの宜しくこれを思うべし。(後集122)

花を見るなら五分咲き、酒を飲むならほろ酔いにとどめる、このほどほどのあたりに、なんともいえない趣がある。満ち足りた境遇にいる人は、このことを良く心にとめなければならない。

一事起これば一害生ず、故に天下常に無事を以て福となす。(後集128)

一利あれば一害あり。一得あれば一矢をともなうのがこの世の常である。だから、この世はなにごとも起こらず、平穏無事であるのが一番の幸いである。

人生一分を減省すれば、すなわち一分を超脱す。(後集131)

人生において、余分なことを少しでも減らそうとすれば減らした分だけ、この世のわずらわしさから抜け出ることができる。