君子はその練達ならんよりは、朴魯なるにしかず。(前集2)

世の中のことに熟達して如才がないよりは、むしろ飾り気がなく愚直であるほうがよい。

見るべし天地に一日も和気なかるべからざるを。人心に一日も喜神なかるべからざるを。(前集6)

世の中というものは、自分の心の持ちよう一つで、苦ともなれば、楽ともなる。だから、心をいつも晴れやかにして、快活に楽しく人生を送ることは、とても大切なことである。

世に処するには、一歩を譲るを高しと為す。(前集17)

世の中を渡るには、けっして人と争うのではなく、つねに一歩を譲る心がけを忘れてはならない。

黙を養いて後に多言の躁たるを知る(前集32)

寡黙を養い守っていると、多弁がいたずらに騒がしいだけで役に立たないということがよくわかる。

人は名位の楽しみたるを知って、名なく位なきの最も真たるを知らず。(前集66)

世の人は、名誉や地位を得ることが幸せであるかのように思っているが、実は名誉や地位に縁のない人にこそ最高の楽しみがあることを知らない。

一苦一楽、相磨練し、錬極まりて福を成すものは、その福始めてひさし。(前集74)

ときに苦しみ、ときに楽しみ、苦楽あいまって心身を磨き、その果てに得た幸福であれば、永遠に自分のものとすることができる。

心は虚ならざるべからず、虚なればすなわち義理来たり居る。(前集75)

心はいつでも雑念を排して空虚にしておかなくてはならない。空虚にしておけば、そこに正しい道理が自然と入ってくる。

清にして能く容るるあり。仁にして能く断を善くす。明にして察を傷つけず。直にして矯に過ぎず(前集83)

清廉潔白であってしかも包容力があり、寛大であってしかも決断力に優れていて、聡明であってしかも人の考えを批判せず、正直であってしかも他人の行為をとやかく言いすぎない。

一たび窮愁寥落に当るも、奈何ぞ輙(すなわ)ち自ら廃弛(はいし、心が投げやりになって気も弛む)せんや。(前集84)

たとえ困窮や失意の毎日であっても、けっして自暴自棄に走らない。

纏脱はただ自心にあり、心了すれば、屠肆糟廛も居然たる浄土。(前集88)

煩わしい俗世間に束縛されて悩み苦しむのも、そこから解放されて安楽であるのも、すべて自分の心の在り方一つにかかっている。自分の心の在り方を悟ることができれば、そのままそこが極楽浄土である。

逆境の中に居らば、周身みな鍼砭薬石、節を砥ぎ行いを礪(と)いて覚らず。(前集99)

思うにまかせない不遇の時は、身の回りの物すべてが良薬となり、知らず知らずの内に節操も行いも磨かれている。

人の小禍を責めず、人の陰私を発(あば)かず、人の旧悪を念(おも)わず。(前集105)

人のささいな過失を責めたてず、人の隠し事をあばきたてず、人が自分に与えた過去の悪事はむしかえさないようにする。

悻々(こうこう、怒りっぽい)自ら好しとする人をみれば、応(まさ)にすべからく口を防ぐべし。(前集122)

怒りっぽくて、それでいて自分ではいいと思い込んでいる人には、うかつに相手になって衝突してはならない。なるべく敬遠してだまっているのがよい。

人の詐(いつわり)を覚るも言(ことば)に形(あら)わさず、人の侮りを受くるも色に動かさず。(前集126)

人が自分をだましていることに気づいても、知らないふりをしてあからさまに言葉に出さず、また、人が自分を侮辱しても、顔色ひとつ変えず怒りを表にあらわさないというのは、なかなかむずかしい。

燠(おう)なればすなわち趨(おもむ)き、寒なればすなわち棄つ。人情の通患なり。(前集143)

裕福な時にはすり寄ってくるが、いったん落ちぶれると、たちまち見捨てて顧みない。これが古今東西、世の人情の常である。

己に反する者は、事に触れてみな薬石となる。人を尤(とが)むる者は、念を動かせばすなわちこれ戈矛(かぼう)。(前集147)

自らよく反省する人は、体験することすべてがその人を向上させる良薬となる。自ら反省もせず、人に過ちを押し付けることにのみ努める人は、思ったり考えたりすることすべてが、そっくりそのまま傷つける刃物となる。

身を居(お)くは宜しく独り後るるの地に居くべし。(前集155)

自分の身の置き所は、人と争わずにすむところを選ぶとよい。競争がないところであれば、自分が安泰であるばかりでなく、人から邪魔者扱いにされることもない。

念頭寛厚なる的(てき)は春風の煦育(くいく)するが如し、万物これに遭いて生ず。(前集163)

心がゆったりとして人情に厚い人は、春風が万物を暖めて育てるように、すべてのものを生き生きと成長させる。

己の困辱(こんじょく)は当(まさ)に忍ぶべし、而して人に在ってはすなわち忍ぶべからず。(前集168)

自分の苦しみや辱めは、諦めて耐え忍ばなければならないが、人の苦境はけっして見過ごしてならない。自分のことは差し置いて、全力で救いの手を差し伸べなければならない。

功業に誇逞(こてい、得意になる)し、文章を炫燿するは、みなこれが外物によって人となるなり。(前集183)

自分の功績を誇り、教養をひけらかして得意になっているのは、ちょっと見には偉そうに思えるが、このような人は、功績や教養という、うわべの飾り物によりかかって一人前になったにすぎない。

磨礪(まれい)は、当に百錬の金の如くすべし、急就の者は、邃養(すいよう)に非ず。(前集191)

心身の修養には、繰り返し金を練り上げるように、じっくりと時間をかけなければならない。速成では、けっして深い教養とはならない。

久安を恃(たの)むなかれ。(前集202)

いつまでも平穏無事であるからといって、心を許すな。いつ異変が生じて、当惑するときが来ないともかぎらない。

世人は心の肯(うけが)う処を以て楽となし、却って楽心に引かれて苦処に在り。(前集204)

世間の人は、欲望を満足させることに楽しみを見出しているから、楽しみを得ようとする心に引きずられて、かえって苦しみが多くなる。

濃夭は淡久に及ばず、早秀は晩成に如かず。(前集224)

派手ではあるが短命なものは、地味ではあるが長持ちするものには及ばない。早熟なものは、じっくりと熟成するものには及ばない。