Shanghai diary
4 月

四年ぶりの上海

空港から都心まで、金曜の夕方ということもあって、渋滞で一時間半以上かかった。
福岡・上海の飛行時間とほぼ同じだ。
都心に入っても設計ミスかロータリーがなく、高速内に交叉路があり、
今後さらに、車所有者が増え続けるだろう上海では、東京の首都高以上の込みようも目に見えている。

マイカー所有者が増えれば、さらに日常化するだろう

空港まで出迎えにきてくれた社長は上海在住が10年を超える。
車中、上海の変化は本当に目覚ましいものがあると言っていた。
五年後までに、現在の地下鉄が5路線から13路線まで増える、
リニアモーターカーが将来は虹橋空港(国内線)まで伸びる、
上海の人口1700万のうち、台湾人30万、日本人8万(公称)、
開発が進み昔の形跡が全くない、
ビジネスは日本企業同士ですでに競争が激しい・・・

その後、社長の気遣いか、虹橋(ホンチャオ)のホテルにチェックイン。
二日間ホテルで過ごし、日曜日に部屋探しをする予定。
初出社は月曜からだ。
このあたりは日本人が多いせいか、日本語の看板が目立つ。
鼎泰豊(ティンタイフォン)という台湾系のショウロンポウの店で夕食を御馳走になった。
店内は込み合っており、周囲で日本語も聞こえてくる。
日本にもすでに複数の都市に進出しているのがうなづける.。

貧しい上海が残っていた

今日二日目、朝から曇り気味。
ホテル周辺をぶらぶら歩いてみた。
電気店で約900円の目覚まし時計を買い、携帯電話を物色した。
最低約6000円位、高いものだと4−5万はする。
モトローラ、ノキア、サムスン、ソニーエリクソンの四大メーカーにほぼ集約されているらしい。
規格がうまく適応できず、NECなど日本メーカーは撤退。
新規登録0円の日本がうらやましい。

少し歩くと、日本領事館があった。
警官が常駐していたが、昨年4月の反日デモで投石されたことなど今や過去の話だ。
「大杉元領事には大変世話になった、今の日本人外交官は自己保身が強い」と社長が言っていた。
元領事が書いた「大地の咆哮」という本は、中国の変動が知れて確かに面白かった。

一旦ホテルに戻り、室内にLANケーブルがあったので、持ってきたパソコンをつないで開くと、
中国電信のHPでIDとPasswordを入力せよ、との指示。
フロントで聞くと、一日600円で使用できるということで、IDとPasswordを教えてもらった。
何人かにメールした。

その後、外出。
上海駅に行ってみた。地下鉄で60円。自動販売機でカードを買う。

切符はカード大、再利用か?

2010年の万博を意識してか、構内も車両もきれい。
途中、路線乗り換えがあったが、東京の営団地下鉄(?)と同じく、乗り換えホームまで3分ほどかかった。

上海駅に着いたが、駅の裏側に出てしまった。
同じ雑踏でも渋谷や新宿とは天と地の差。
初めて、上海の地を踏んだのが1994年。
人々の姿恰好は、人民服はないものの、列車に乗ろうとしている人たちか、
昔の汚い、貧しい、人だらけの上海がそこにはまだあった。
まさに、貧富の差は拡大するばかり。
発着するバスは新車で、北京のあの乗車率150%、悲鳴の聞こえるおんぼろバスとは全く違う。
駅の表に出ようとしたが、かなり遠周りになりそうだったので帰ることにした。
来た時とは違う地下鉄の駅につながる階段を降りるとメガネの店だけが地下に10軒以上、軒を並べている。
コンタクトの店はないし、ただ商品を並べているだけ。ここも競争か。

ホテルで仮眠し、夕食は近くの小さな店へ行く。
サントリービンビールと牛肉麺で165円。
金持ちは一晩で食事に何万も簡単に使う。
自分は前者が似合っている。

部屋が決まった

日曜日。
昼前、ホテルに車が迎えに来て、事務所に行った。
そこに、社長と世話係りのTさんがいた。
休日なので、社員は誰もいない。
社長と別れ、庶務のTさんと一緒に近くの不動産斡旋会社へ。
長寿路という幹線の道向こうに物件はあった。
2004年にできた23階建てのマンションだ。
ローソンまで一分。
興味深かったのは、エレベーター内に各階の押しボタンがないこと。
乗る前に、ドアの横にあるボタンで階を指定すると、
5台あるエレベーターのなかで一番早いドアが開き、指定した階へ直行する。

三部屋みて、決めた。
テレビ、ベッド、ソファー、DVD、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、炊飯器・・・、生活に必要なものはそろっている。
掛け布団を、大家(不動産会社)があとで買って持ってきてくれた。
家賃は1Kで2600元。
このあたりの相場らしい。
家賃三か月、敷金一か月、斡旋会社手数料で、計11310元(×15円?)。
次回は、6月末に7800元を三か月分まとめて前払いすることになる。
会社まで、歩いて10分足らず。

職住近接、通勤地獄なし

初出勤

前日、社長に9時半から10時くらいの間に来てください、と言われていたので、9時半過ぎに出社した。
しかし、社長も金曜日の夜に紹介してもらった社員もまだ出社していなかったので、受付前の椅子に座ってしばらく待った。
月曜日の定例営業会議をやっていた。
かなりの人数だ。
聞こえてくるのは中国語。
社員の大半が中国人だし、日本人社員も中国語がわかるらしい。
そう、ここは中国なのだ。

30分ほどして会議が終了した。
社長はまだの様子。
そこへ、土曜日に紹介された女性が目に入ったので声をかけた。
一安心。

両替

同僚のKさんに近くの店で昼食をご馳走になった。
詳細は不明だが、日本でのサラリーマン(出版社・コンピューター会社)をやめ、中国へ語学留学後、現職へ。
彼は、中国語も英語もできる。

2005年をピークに日本企業の中国進出は減少、出るべき企業はほとんど出た、残りはサービス業と言っていた。
中国政府の外資優遇策方針転換も近いらしい。
これから、進出企業を含めた国内の法整備が進むが、例えばフランチャイズの対応も5月に変わるらしい。
飲食業や小売業などに代表されるフランチャイズシステムで発展した日本企業にとって、より展開がやりやすくなるのかも知れない。

食事を終え、Kさんに同行してもらって銀行に両替に行った。
一万円で633元。
円安傾向で、以前に比べ交換率が悪い。
Kさんが日本円が欲しいというので、残り2万円を直接両替してもらった。
彼の話によると、元を円に換えることはできるが上限5万元までとのこと。
帰省時のことを考え、ある程度、円も残しておかなければならない。

開店9時前から、客が並んでいる

中国語は必要条件

職場の周囲から日本語が聞こえてくる。
中国語が聞こえてくる。
標準語それとも上海語?
日本人社員は、ほとんど中国語ができるようだ。
自分には、まだ断片的にしか理解できない。
週に2回、中国語の無料レッスンがあると聞いた。
しかし、要は実践的な積み重ねだろう。
買い物や外食で何度か中国語を話したが、通じない時、相手がいぶかしい顔をする。
しかし、ひるんではいられない。
どげんかなるくさ。

1か月前に横浜からやってきたという若い同僚は、自宅でパソコンで中国語の独学を始めた、と言っていた。
CDかDVDを自分も買って、夜の時間に当てよう。
まずは、言葉から始まる。

後日、テキストを買った。
写真左がCD3枚付きで75元、右がCD1枚付きで38元。
安い。

個人用に買ったテキスト(CD付き)

上海美人がいない

会社とアパートの往復という行動範囲の狭さもあるが、今のところ、上海美人を見かけない。
いるのは、テレビと雑誌、看板の中だけ。
外に出歩く機会が増えれば、いずれ、上海美人にも遭遇するだろう。
若い女性たちはファッション、化粧、ヘヤメイクなど、どんどん欧米化していく。

こちらには、たくさんいます。

ファッションのセンスもよくなってきた

コンビニ競争

自宅アパートの向かいにローソンがあり、帰りにビールなどを買う。
近辺には、中国系コンビニも多く、すでに市民によく利用されているが、ローソンに比べるとサービスは劣り、無愛想だ。
中国の流通業の発展は目覚ましく、一位の華連集団の売り上げは130億元。
元の切り上げなどが進むと、日本の規模をすぐに抜くだろう。
ちなみに、セブンイレブンの本格的展開も近いと聞く。
中国の流通業の将来は明るい.

上海のコンビ二店舗数  2006/10現在
快客1209、好徳907、可的693、良友金伴413、ロ−ソン291、光明282、ファミリーマート109

一食90円

食事は外食。
庶民的な安いところばかりにいく。
同僚に誘われて行った和食の店は日替わり定食が15−18元、カレー定食が15元。
まずくはない。
夕食は、言葉ができないこともあって、牛肉面が6元、青椒牛肉飯が8元など単品を注文。
言葉ができれば、もっとメニューは広がるだろう。

茶碗蒸しもついてくる

小学校は朝が早い

朝7時過ぎ。
窓を開け、部屋の外を眺めると、いくつかの高層マンション。
すぐ下の道向こうに小学校のグランドが目に入った。
生徒たちが、掃除道具を持って行き来している。
7時半になり、音楽とともに、彼らが整列して集まってくる。
国旗掲揚だ。
校長の訓話らしきものはない。

毎朝の規律訓練

やはり、少しずつ進化している

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
かつての上海の街は、車が突進してきても、その合間を抜いて歩行者は大きな道を渡っていた。
交通信号が増えたこともあるし、警察が朝晩立っていることもあって、みんな信号を守るようになった。
交通マナーの点でも、少しずつ向上している。
ただ、横断歩道を青信号で渡っていても、車はまだ止まることはない。
要注意。

人は金で動くことが多い。
中国人でも同じだ。
ルール違反は、性悪説で罰金をとれば簡単に改善されるだろう。
しかし、そう気に掛ける必要もない。
「衣食足りて礼節を知る」の例え通り、
中国人が豊かになるにつれ、社会的規範を守ることは進むだろう。

朝、出勤時のスナップ

誰も出社していない

朝9時5分前出社。
就業規則では9時から18時となっているが、まだ誰も出社していない。
そうこうするうちに、9時を過ぎた。
変化なし。
15分、変化なし。
20分過ぎになって、ちらほら出社し始めた。
日本のように時間に厳格でない国民性なのか。
その分、夜は遅いようだ。
自分には、こっちのほうが性にあっている。
しかし、一旦、席に着くと、みんな黙々と仕事を始める。
くだらない私語などない。
一言で言えば、ビジネスライク。
そして、ドライ。

インターネット開通

部屋の契約をした時、同時にインターネットを不動産屋に申し込んで、三日目の午前中に開通した。
前の住人が使用していなかったため、業者が新たに配線した。
約30分の工事。
工事費はキャンペーンなのか無料。
月の使用料はADSLで130元。
中国国内サイトのダウンロードはそれなりに早いが、日本サイトのダウンロードは結構時間がかかる。
日本の光ファイバーのスピードが懐かしい。
インフラの未整備は、ここにもある。
しかし、これで、日本との連絡が可能となった。
ちなみに、会社のネットはケーブルなのか、もう少し早い。

上海駅と南京東路

初めての休日。
昼過ぎ、上海一番の繁華街・南京東路に出かけることにした。
バスやタクシーが不案内のため、アパート前の長寿路から一番近い地下鉄を地図で探すと、上海駅があった。
駅まで歩いて10分ほど。
以前、宿泊したホリデーインが目に入った。
その向こうが上海駅。
広い駅前の人の多さに圧倒される。

建て替えられた上海駅

まずは、地下鉄の切符を買おうとしたが、窓口はどこも長蛇の列。
なぜか、他の駅にはあった自動販売機が見当たらない。
5分ほど並んで自分の二人前で突然窓口が閉まった。
担当者の交代時間のようだ。
その準備で数分待った。
そうするうちに、両隣の窓口も交代時間。
駅員が席に着いた途端、左右からも客の手がが自分の窓口へ伸びる。
中国人は待つことを知らないのか。

地下鉄は、土曜日午後のせいか満員。
福岡のゆったりした車内の比ではない。
相変わらず、降りる前に客が乗り込んでくる。
北京では、オリンピックを控え、地下鉄の乗り降りの指導を行っていると聞いたが、社会道徳はまだまだこの国は遅れている。

上海駅から三つ目の人民広場で乗り換え、次の南京東路で下りた。
どのくらいの人間がいるのだろう、欧米系観光客も多く、人だかり。

いつも人が多い

中国語の本を探すため、本屋を探していた。
日本人と思ったのだろう、中国人らしき若い女性が声をかけてきた。
「今、何時ですか?」
片言の日本語だ。
「我不知道、没有手表(分らない、時計を持っていない)」と答えると、
いろいろ言ってくるので無視して、友達が待っていると言って、その場を離れた。
案の上、この南京東路で、別の女性に二人、同じように声をかけられた。
日本人観光客をねらったぼったくりだろう。

ユニクロに入った。
中国の感覚でいうと高い。
日本と違い、富裕層を狙った価格設定なのかも知れない。
カジュアルなズボンが269元した(×15円?)。

中国では高級志向

外資系の飲食店も目立つ。吉野家、ピザハット、マック、KFC、ハーゲンダッツ・・・。
中国進出の先駆者、熊本の味千ラーメンに入った。
ほぼ満席、15元のとんこつラーメンを頼んだ。
この味が中国人に受け入れられ、香港で上場したらしい。
福岡の人気店・一風堂(中国名:78拉面)が上海に出たと聞いているが、その動向が気になる。

近く、香港市場に上場予定

書店があった。
中国語の教科書はほとんどない。
店員に尋ねると、日本語DVD付きの本が9000円、同じ英語の解説付きで6000円。
パソコンで利用できるが、高すぎるので買うのをやめた。
10元の上海地図を買って店を出た。

洗濯機が止まらない

初めて、洗濯機を使った。
しかし、30〜40分過ぎても動き続けている。
ボタンは「防皴浸泡」「免脱水」「電源開閉」の三つだけ。
あと、右側に、水温と衣類の種類区分。
エンドレスなのか?
不安になったので、途中で電源を切った。
再度、スイッチを入れ、今度はほっておいた。
一時間ほどして、脱水が始まり、そして止まった。

人は、試行錯誤を繰り返して学習していく。
上海生活もそうだろう。

使い方がよくわからない

会食

同僚に誘われ、ある日本の自治体の所長二人、人材紹介コンサルタント会社社員と広東料理で会食。
彼らは、上海在住も長い。
いろいろな面白い体験談を聞かせてくれる。
今回、上海行きを決めた理由の一つが出会い。
刺激的な人たちに会いたい。

セミナー参加

「転換期を迎える対中ビジネス環境と今後の人事労務戦略」と題するセミナーが、新錦江大酒店で催された。
参加日系企業約500社。
主催は、華鐘コンサルタントグループ。
社長のKさんは、1970年代から日本企業の駐在員として中国で働き、94年に現在の会社を立ち上げた。
現在、60代半ば。
そういえば、上海は諮詢有限公司と中国語で呼ぶ外資系コンサルタント会社が多いように見える。
「発展途上」の中国において、日本などの進出企業に、法務、労務などいろいろな側面からコンサルする市場が大きいと見ているのだろう。

五つ星・新錦江大酒店

転換期を迎えつつある外資系企業

セミナーによると、中国を取り巻く環境は大きく変わりつつあり、それに伴って中国の外資系企業の経営環境も激変しつつあることを感じる。
今年2月の中国市場発の世界同時株安は、対外貿易総額や外貨保有高、自動車や携帯電話の生産販売が日本をはるかに抜く中国経済が、いまや日本を上回る世界経済への影響力を持つ状況になっていること、新「企業所得税法」による外資系企業の優遇税制の撤廃と内外資企業の企業所得税率の統一(全国一律的に25%)、個人所得税の深刻義務などがそうだ。

一方、今年に入って、中国の全般的な景気と経済状況は依然として好調だが、先般の全人代に見られるように、中国の現在の最大の課題は国全体としての内需振興であり、胡錦涛・温家宝政権は政策の重点を都市部から農村部に移し、農業と農村の振興、農民の生活レベル、所得と消費を向上させることによってそれを達成しようとしている。

中国経済の動向に関心が集まる

初めてのタクシー

同僚が別の仕事が先にあるということで、セミナー会場に近い花園飯店のロビーで待ち合わせした。
花園飯店の発音が通じない恐れがあるので、念のためにメモ書きしていて運転手に見せればいいと言われていた。
中国の場合、行き先は有名な場所であれば問題ないが、一般的には通りの名前を二つ言えば、
その交差点でタクシーは止めてくれる。
初乗り料金11元(×15円)。
すでに、庶民の足だが、繁華街や通勤時はなかなか空車が見つからない。
同僚は、さら別の仕事があり、中座した。
帰りも一人。
20分ほど、空車待ちをして、やっと乗れた。

タクシーも、旨みのある商売でなくなった?

中国語レッスン

終業の18時から19時半まで、社内で初心者を対象にした中国語の無料レッスンが始まった。
生徒は自分を含めて3人。
内容は基礎的でもの足りないが、中国人の先生から発音を修正される。
これはこれで続けるとして、
HSK(漢語水平考試という中国語検定試験)7級という同僚から借りたCDでの自己学習や実践的会話も続けなければならない。
彼女は、さらなるレベルアップを目指してHSK講座に通い始めた。
同じ部署の別の女性は、4年前に来中したときは全くしゃべれなかったが、現在は中国語ニュースを翻訳している。

カップヌードル

会社を出たのが10時半。
飲食店は、小汚い小さな店しか残ってなく、言葉が十分でないこともあって、近くのローソンでカップヌードルを買った。
中国名「開杯楽」
味は違う。
やはり、日本のものが美味しい。
中国のインスタントラーメンは、台湾系と日清の二大メーカーがシェアを争っているとのこと。

味はいまひとつ

バス初デビュー

同僚たちが、歓迎会を開いてくれることになった。
会場に行く前に、二人の女性同僚と中山北路にあるカルフールに携帯を買いに行くことになった。
金曜日の夕方ということもあって、タクシーがつかまらない。
バスで行くことにした。

液晶テレビが設置されている

会社近くのバス停から、結構本数は出ているらしい。
バスがやってきて乗り込む。
前払い。
彼女たちは、交通カードを使った。
カードを示すと、自動的に換金される。
日本のSUIKAみたいなものだ。
バス以外に、タクシー、地下鉄にも使えるらしい。
それがあれば、地下鉄上海駅の切符売り場で並ぶ必要はない。
自分は、現金で2元払った。
バスの中は、液晶テレビにニュースが流れ、前方には到着駅が表示される。
少し、込んでいたが、満員ということでもない。
日本のバスと変わらない。
地下鉄、タクシーに続き、バス初デビュー。

新しく導入された二階建てバス

携帯を買った

カルフール中山北路店で生活必需品、携帯電話を買った。
ショーケースの中にはたくさんのデザインの携帯電話が並べられており、
機能の違いもあって高いものは3000元以上もする。
自分はとりあえず、通話とメールのできる685元のサムスン製のものを買った。
日本のものに比べると手の中に隠れるほど小さく、おもちゃのように見える。
番号は自分で選ぶが、縁起のいい8が並んだものはなかなか当たらないらしい。
パスポートを持っていなかったこともあり、番号は月曜日に会社近くの店で買うことにした。
通話料の支払いは、コンビニでカードを買うらしい。
徐々に生活知識は覚えていけばいい。

小さめで、おもちゃみたい

しゃぶしゃぶ

歓迎会会場は、しゃぶしゃぶの店。
携帯を買った後、タクシーがなかなかつかまらず、みんなはすでに待っていた。
食べ放題で88元。
ひさしぶりのしゃぶしゃぶだ。
会話が弾む。
同僚たちの名前がすこしずつ分かってくる。
彼らはどういう意図を持って上海に来たのだろう。
そして、いつ日本に帰るのだろう。

そのうちの一人は福岡市出身。
7月に中国人と結婚式を挙げる。
「会社の中で、自分は中国語はできないほうです。今日、携帯を買ったとき、通じるのかとどきどきしました。旦那が長い間、日本に留学していたので、日本語はぺらぺらで、支払いなど家のことは全部やってくれ、自分はあまり中国語を使ったことはありません」

酒は、ビールと日本酒。
この店に焼酎はなかった。
先日、うなぎの店に入ったとき、大分の「いいちこ」が置いてあった。

日本人も多いこの上海では、日本食レストランはすでにたくさん出店している。
この店の対象とする客は当然日本人だが、結構はやっていた。
和服を着た中国人の若い女性たちが、日本名の名札をつけて接客していた。

江寧路と長寧路

11時半。
会がお開きとなり、三々五々、タクシーで帰り始めた。
自宅の方向がみんなと違ったので、ひとりでタクシーに乗った。
乗るとき、中国語のできる同僚が運転手に、「長寿路、江寧路」と自分の降りる場所を言ってくれた。
運転手は、「好(ハオ)」と応え、車は動き出した。
それまで、「自分は上海に来たばかりで、言葉は十分でない。日本からの客は多いか」「長崎の人が多い」・・・など
中国語レッスンが始っていた。
目的地に近付いたのか、運転手が「この辺りか?」と聞いてきた。
しかし、どうも様子が違う。
「上海駅は後ろか」「そうだ」
「近くに、国美電機はあるか」「ある」
しばらく、走って車が止まり、運転手がメモを出した。
自分が「長寿路、江寧路」と書いた。
運転手は「長寿路、長寧路」と思っていた。
理解したらしい。
江はJiang,長はChang。
こちらの発音が間違っていた。
そう言えば、書店で中国語の教科書と韓国語の教科書も店員に間違われた。
前者(漢語)は4声、後者(韓語)は2声。
実践的中国語のレッスンは、これらの積み重ねだ。

道路標識があるのでわかりやすい

カルフール中山公園店

休日、再びバスに乗ってカルフール中山公園店へ買い物に行った。
シャツ2枚とズボンで約250元。
カルフールは中国全土で36店舗あるそうだが、確かに品ぞろえは多いし、価格も安い。
いずれ、ジャケットや靴も買いたい。
店の向かい側に上海書城長寧店があったので、中国語テキストを買おうと入った。
福州路より中国語のテキストは多いように思えた。
CD付きテキストを38元で買った。

初めての携帯受信

携帯の音楽が鳴った。
聞いたような声だが、すぐには分からなかった。
「ニーハオ!」
今回の訪中のきっかけを作ってくれた福岡の知人からだった。
彼女は、北京出身。
在日10年近い。

「携帯を買いました」とメールを送っていた。
それに対し、知り合いのいない、言葉も十分にできない自分を案じての国際電話だった。

この携帯の使用頻度が上がるのは、いつごろだろう。
それは、自分にとって上海生活になじんできたことを意味する。
しかし、今はまだ、足が地についていない。
もっぱら、時計代わり。

此の間楽し、蜀を思わず

邱永漢さんのサイト、「http://www.9393.co.jp/」の「金言名句」のなかに、次の文章を見つけた。

「いまの私たちは皆それぞれに故郷と過去のしがらみに縛られて生きています。
そうしたしがらみを断って遠く故国を去り、異郷で生きる人は増える一方です。
遠くにいて故郷を偲んでばかりいるよりも、
いま現に生活しているところで人生の生き甲斐を発見するように努める方が
いい生き方と言えるのではないでしょうか。 」

「此の間楽し、蜀を思わず」という中国・三国志の故事から引いたものだが、
「我が意を得たり」の感もある。

果物屋は多い

技術競争

日本のHD-DVD(東芝)やBlue-ray(ソニー)に対抗するため、
中国はDVDの生産をやめ、中国の技術によるEVDのみの生産を決めた。
拡大する中国市場を睨んでのことだ。

上海・浦東空港から杭州までのリニアモーターの延長が、ドイツとの交渉がうまく行かず頓挫している。
日本の新幹線「はやて」の技術を導入した高速鉄道が今年からスタートした。
上海・北京間は中国独自で進める計画だそうだが、これも日本やフランスの技術がベースになっているはず。
最先端技術の「いいとこ取り」を当然視する中国の思惑。
DVD開発は、どちらに軍配が上がるか。

高速鉄道(中国版新幹線)

リンクしない

自分のサイト「中国への旅」が上海からリンクしない。
リンク先を変更したhttp://chinatrip.michikusa.jp/china.html は今のところ大丈夫だが、
最初にアップしたhttp://fukuoka.cool.ne.jp/goodfor/china/html は駄目だ。
(日本国内からは、見れているようだ)

「それいけ、どんどん」の現在の中国。
一方で、思想や表現の自由は発展途上だ。
庶民がより豊かになれば、おのずから民主化も進むだろう。

昼食

昼食の時間は、日本のように12:00-13:00と決まっているわけではなく、
仕事の状況に応じて、みんな適当な時間にいく。
入社したばかりの中国人女性を含め、3人で出かける。
(ちなみに彼女は、5年前の高校時代に日本語を勉強し、上手に話す。
大阪にも旅行で行ったことがあるそうだ)

案内されたのは、近くの小さな店。
普段行く店と違い、決してきれいと言えない。
頼んだのは、10個入り3元のショウロンポーとシュウマイ、それに4元の牛肉粉糸(ビーフン)湯。
うまい。
安い。
早い。
庶民の生活に、触れることができた。
他にも、たくさん、同じような安くて美味しい店があるという。

外灘

上海の地理に慣れるため、まずはポイントとなる観光地を歩くことにした。
今日は、豫園
中山公園 → 南京東路 → 福州路 → 豫園 の予定だったが、
途中、道に迷って、少し余分に時間がかかった。
南京東路の東西を勘違いし、外灘(わいたん)側に行くべきところを西側の人民広場の方向に行ってしまった。
途中、地図を広げながら道路を確認したが分らず、
若い男性に尋ねたが、彼も知らなかったのか、逆方向を教えられた。
(そういえば、地図を見ている人は結構多かった)

しかし、こういった試行錯誤が土地勘を養っていく。
外文書店の場所を確認するため西蔵中路から福州路へ。
ここは、前回来た上海書城の左先にあり、語学教材も多かった。
目星をつけた本を帰りに買うことにして、豫園に向かう。
福州路をそのまま西に歩いていると、予定外だったが外灘に出た。

以前、何度も来た上海観光の代表的な場所。
浦東側が霞んでいて、よく見えない。
土曜日ということもあって、人が多い。
そこに、大型スクリーンで観光客に広告を見せる船がやってきた。
このフォーカスメディアという会社は、今、急成長している。
アイディアひとつが、新しいビジネスモデルになるという事例だ。

他の地区にも進出予定

南翔饅頭店

裏通りから豫園商城へ向かう。
人民路の向こうに、「上海老街」の大きな門。
ここも観光客で混雑している。
湖心亭をちょっと見た後、いつも長蛇の列を横目にみて食することのなかった目的の南翔饅頭店へ。
ショーロンポーで有名な店だ。

一時半過ぎ。
すでに100人近くが並んでいた。
なかなか前に進まない。
後で分かったが、数十人分の数がさばけると、次が蒸されるまで約10分中断。
そして再開。
その繰り返し。
40〜50分待ったのか、やっと自分の番が来た。
10数個入って(一籠)、10元。
箸を入れると肉汁が飛び出した。
昼食の量として十分だった。

ちなみに、店内の席が空いていると、値段は高くなるがすぐに食べられるらしい。

皮は厚め

長寧区の都市計画

上海西部に位置する長寧区人民政府の主催で、
日本企業誘致促進のための説明会が開かれた。
幹部の説明によると、上海で最も早く対外開放した結果、
日本を含め外国領事館の1/3がこの長寧区にあり、
進出した約200社の日本企業の投資額はすでに4億USドルに上るという。
また近い将来に向け、虹橋空港を核に交通中枢センター(浦東からのリニアモーターカー、地下鉄、北京・上海間の高速鉄道などの拠点駅、高速道路)やビジネスセンター、大型ショッピングセンター、情報センター、居住地区などの開発整備を計画している、とのことだった。
説明の後、開発が進む「虹橋臨空経済園区」を視察した。
都市計画が順調に進めば、確かに長寧区の長江デルタ地帯(上海周辺地区)への影響は大きいだろうし、
中国発展のモデル地区にも思えてくる。
しかし、人民政府の思惑通り行くか。

日本企業の誘致をもくろむ

我愛我夫我愛子

「我愛我夫我愛子」というドラマが放送されている。
貴州テレビで放送されたものの再放送だが、30回分の内容のため、
一晩で3時間連続×10日と集中して見ることができる。

四人の子供と妻、母と幸せな日々を暮らしていた主人公が、
借金して手に入れた自分の漁船が焼かれ、さらに襲われて傷を負い、行方不明になる。
夫は死んでいないと信じる妻は、船の負債を抱え、
子供を育てるために、働き詰めに働くが金銭的な苦労は絶えない。
一年余りして、夫が婚約者を連れて帰ってくる。
彼は婚約者の父親の船に助けられ、シンガポールにいたが、
その働きぶりを認められ、偶然にも依然暮らしていた故郷にある石材加工の会社の責任者として赴任したのだ。
家族との再会。
しかし、彼は記憶を喪失し、名前も変わっていた・・・・・。

家族愛をテーマに、良妻賢母、素直な子どもたち、悪役を配してドラマは続く。
最終回は、どんな結末が待っているのか?